映画の中で比較対照になっていて興味深いのは、熱狂した観客が立ち去った翌朝、広い年齢層の人たちが、客席の間に散らかるゴミを拾い集める。ボランティアらしき200人ほどの中には「アメフトなんか大きらい」と不満げに答える若い女子が交じっている。

「あれは学生が撮った映像です。11万人が出すゴミをどうやって掃除しているのか。アメリカ人はゴミ箱に入れない人が多いんですよ。別の人間の仕事だと思っているからなんでしょうけど。子供たちも学校で掃除はしないですから」

 スタジアムの最上段から順次下へとゴミの回収にあたるのはキリスト教の奉仕の人たちで、カメラは掃除を終えた人たちのあとをついていく。

「巨大なスタジアムの中でミサが行われているというのは発見でしたね」

 スタジアムに集まるのは、観戦客ばかりではない。「チョコレート、いらない?」と弱々しい声で通行人に声をかける物売りの黒人の少年と指図する巨漢。「この街は寒くてしかたがない。手袋を買う金がほしい」とぼやくストリートミュージシャン。ペットボトルの水を5ドルで売りつける男など「場外の人たち」は現代アメリカの縮図のようでもある。

 さらに台本なしの映画の中で印象につよく残るのは、トランプ支持の宣伝トレーラーが行き交うことだ。撮影された2016年秋は、大統領選の最中だった。

「本来ミシガン州は民主党の地盤で、ヒラリーが勝つだろうと誰もが予想していました。トランプが勝利を収めた背景には、リベラル派が甘く見ていたこともあると思います。しかし、それ以上にあの時は無関心な人が多すぎた」

 映画の後半に、象徴するシーンがあるという。

「偶然撮れた、救急隊がやって来るシーン。大観衆はみんなゲームに夢中になっているので、サイレンを気に留めたのはたった一人。その後、再びカメラをスタジアムの外に向けると、大観衆へ背後から忍び寄るように、トランプ支持のトレーラーが通りすぎていく。そのことに、11万人の誰一人として気づかないんです」

 つまり目の前で起きていることに大観衆は「無関心」だった。こうした空気がトランプの勝因ではなかったかというのだ。(朝山実)

週刊朝日 2018年6月22日号