「ここに女がいる!」と心を揺さぶられて、ぜひ出たいと思いました。大島監督は、ほんとはもっと年上の大スターで、たとえば山田五十鈴さんクラスの方にやってほしかったみたいですね。でも、過激なシーンも多かったから、そういう人は出てくれない。「まあ、しょうがないか」という感じだったんじゃないですか。あの映画で、あらためて演じる面白さを知ることができました。
あのころ、テレビや映画の仕事だけじゃなくて、自分で企画して定期的に舞台公演をやっていたのも、救いになりましたね。話題にもならないしお金にもならないけど、自分としてはやりたい役がやれている。腐っちゃわないためには、絶対に必要でした。
――今では女優という仕事に満足し、楽しみながらやっているが、小さいころから女優を夢見ていたわけではなかった。子どものころは病気ばかりしていて、夢はなかったという。
中学生のときに観た劇団民藝のお芝居に感動して、衣装とか舞台美術とかの係をさせてもらうつもりで受験して、研究所に入ることになったんです。
女優を目指したわけではなかったのに、舞台に出ることになり、厳しくしごかれて、時にはいじめられて、つらいことばかりでした。やめなかったのは責任感と、あとは意地ですね。ヘタだったから陰口もさんざんたたかれたけど、それでやめるのは悔しかった。
よく頑張ってるわね。つらいだろうけど踏ん張りなさい。それは後々、絶対に役に立ってくるから。当時の自分に、そう言ってあげたいかな。あのときを乗り切ったから、今があると思います。
若い人に何か一言を、と言われたら、嫌なことも逃げないでぶつかってね、と言いたいです。人生は長いのですから。
結婚して旦那さんに養ってもらうつもりは、最初からありませんでした。クラスメートは小中学校のころから、結婚式は着物がいいか洋服がいいか、どんな旦那さんがいいかって話してたけど、私はぜんぜん結婚に興味がわかなくて。
私が小さいころに父が亡くなって、母が働いて、ひとりで私たちを育ててくれました。だからかもしれません。おまけに、11歳年上の兄の夫婦関係のゴタゴタも見ていたから、結婚が幸せなものというイメージはなかったんですよね。