アルツハイマー型認知症のため、4月27日に亡くなった女優、朝丘雪路さん(享年82・本名 加藤雪会)さんの夫で俳優、津川雅彦さん(78)が5月21日、本誌の独占インタビューに応じ、45年間にわたって連れ添った亡き妻との思い出を明かしてくれた。
――今、朝丘さんの死を、どのように受け止めているか
雪会が僕より早く死んでくれたことが、何よりのプレゼントですね。僕が先に死ぬのは、それはちょっと過酷だと思うし。雪会の死を踏まえると、悲しみとともに、どこかほっとしているところがあるんじゃないかなと思います。
――津川さんにとって朝丘さんは、どんな存在だったか。
一言で言えば、やっかいな存在(笑) 性格的にもワガママだったし、やきもち焼きでしたね。女の人については、サラッとしてるんだけど、仕事に対しての焼きもちは、よくやかれましたね。
――それは、同業者(役者)として?
ええ、そうですね。僕にいい仕事が来たりすると、むくれるんですよ(笑)あまりしゃべらなくなってね。それで自分のマネージャーに1時間くらい、「何でもっといい仕事がとれないの」って説教したりしてる。全部がかわいいんですよ。
――役者としての朝丘さんは。
女優としての才能は天才的でした。雪会は、僕の前でも女優でした。例えば、鏡台なんかの前に、家族の写真はいっさい置かなかった。娘が生まれた時は、おっぱいをあげるのも嫌がった。つまり、女優であるために、日常の生活臭を嫌っていました。
――朝丘さんは、結婚してからも「もっと遊びなさい」と女性に寛容だったとか。
そうですね。何せ、新婚旅行の時から「もっと遊べ」と言ってましたから。新婚旅行と言えばハワイやヨーロッパが多いけど、僕はそうじゃないところに行きたいと思って、マレーシアやフィリピンに雪会と行ったんです。旅行中、宿で僕がおとなしくしていると、「外(女性がいる店)に行ってらっしゃいよ」って言うんです。しょうがないから、雪会も一緒に連れて遊びに行きました。
――合コンもたくさん。
ええ、女性とはよく遊びましたね。雪会の感情としては、半分は諦め、半分は僕への信用だったんだと思います。雪会はこれまで、僕の言うことに反対したことがないんです。