西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏は、元プロ野球・広島カープの選手で「鉄人」と異名で親しまれた衣笠祥雄氏の死を悼む。
* * *
元広島で2215試合連続出場の日本記録を持つ衣笠祥雄氏が4月23日夜、上行結腸(じょうこうけっちょう)がんのために都内で死去した。71歳は早すぎる。訃報(ふほう)を耳にして、すぐには言葉が見つからなかった。
私はパ・リーグの選手だったから、シーズン中の対戦はない。ただ、オールスターや日本シリーズで何回か対戦した。1975年のオールスター第2戦で、私は2番手で登板したが、衣笠さんは1打席目はフォアボールだったと記憶している。前日の第1戦では、山本浩二さんと衣笠さんが2打席連続で本塁打を放ち、警戒心があったのかもしれない。私は山本さんを抑え、衣笠さんと対戦せずにマウンドを譲った。私が10回、衣笠さんが13回オールスターに出場しているが、不思議と対戦機会は少なく、調べてみたら84年に2打席対戦し、最初に左前に安打され、次は遊飛に抑えていた。
史上初の日本シリーズ第8戦までもつれ込んだ86年の広島との対戦。私は3試合に先発したが、衣笠さんにはほとんど打たれなかった記憶がある。調子が悪かったのかな。ただ、肌で感じたことがある。
私は周囲から“ケンカ投法”と言われたが、内角を意識させて、外のスライダーを生かす形だった。与えた165死球はプロ野球最多だ。しかし、衣笠さんも死球数は歴代3位の161死球。対戦して感じたのは、内角に逃げずに踏み込んでくると同時に、絶対に体の右サイドに死球を受けない、避けるうまさ、懐の深さがあるということだ。
右打者は打ちにいって、早く体が開き、右手を含めて右サイドに当てることが一番良くない。だけど、衣笠さんは、踏み込んでいきながら、クルッと体を反転して背中などに死球を受けることができる。投手からすれば、“ある程度はよけてくれる”という安心感があるからこそ、思い切ってつける。そして、死球に対して声を荒らげることのない紳士的な姿勢。あの姿は、リーグが違っても、ずっと尊敬の念を抱いていた。投手からすれば、抑えても、打たれても、すがすがしい勝負ができる打者だったと思う。