帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「死を生きる」(朝日新聞出版)など多数の著書がある帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「死を生きる」(朝日新聞出版)など多数の著書がある
お茶の効用について(※写真はイメージ)お茶の効用について(※写真はイメージ)
 西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。貝原益軒の『養生訓』を元に自身の“養生訓”を明かす。

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【貝原益軒 養生訓】(巻第四の54)
茶、上代はなし。中世もろこしよりわたる。
其後、玩賞(がんしょう)して日用かくべからざる物とす。
性冷にして気を下し、眠をさます。

 養生訓では、それほど分量はないのですが、お茶についても語っています。まずは日本への伝来について、「お茶は上代にはなかったが、中世に中国からわたってきた。その後、人から愛され、日常に欠かせないものになった」(巻第四の54)と説明しています。

 一般にお茶は最澄(767~822年)や空海(774~835年)など留学僧が唐から種子を持ち帰ったとされていますから、「中世に中国からわたってきた」というのは、おかしなように感じます。しかし、日本史の中世を鎌倉幕府成立(12世紀末)から室町幕府の滅亡(1573年)までと言い出したのは明治以降ですから、益軒のいう中世はもっと広い範囲なのかもしれません。

 養生訓ではお茶の効用について、どちらかというと否定的です。

「お茶は性が冷であって気を下し、眠りをさます」(同)と説いたうえで、「陳蔵器(ちんぞうき・唐代の医者で『本草拾遺』をまとめた)は、長く飲むとやせてあぶらをもらすといった。母(ぼ)ケイ、蘇東坡(そとうば・北宋の詩人)、李時珍(りじちん・明代に『本草綱目』を著して、本草〈薬用植物〉学を集大成した)などもお茶の性はよくないといっている。ところが、今の世では朝から晩まで毎日お茶を飲む人が多い。飲むことが習慣になると、体をこわさないものなのだろうか」(同)といった具合に疑問を語っています。

 さらに「気を冷やすものであるから一時にたくさん飲んではいけない」(同)とか「弱い人、病人は今年できた新茶を飲んではいけない。眼病、上気、下血、下痢などの病を起こす心配がある」(同)という注意もしています。

 
 一方、お茶は養生によいと積極的に推奨したのが、臨済宗の創始者である栄西(1141~1215年)です。『喫茶養生記(きっさようじょうき)』を書いて、お茶の効用を広めました。その序文はこう始まります。「茶は養生の仙薬なり、延齢の妙術なり、山谷之を生ずれば其の地神霊なり。人倫之を採れば其の人長命なり」

「お茶は養生の仙薬(とてもよく効く薬)であり、長生きのための妙術(すぐれた手段)である」というのです。「山や谷にお茶が生息していれば、その地には霊気がある。人がこれを採って飲めば、その人は長命になる」と続きます。

 そこまでお茶に霊力があるかは別にして、緑茶には健胃、解毒、虫歯予防、利尿、眠気覚ましといった効用のあることが知られています。最近はお茶の渋み成分のカテキン類が注目を浴びています。これは抗酸化作用で有名なポリフェノールの一種で、発がん抑制、動脈硬化予防、脂肪代謝異常の抑制、殺菌作用、そして抗酸化作用と、その効用は綺羅星(きらぼし)の如くです。

 といっても、実は私はお茶を飲まないのです。お茶もコーヒーも昔から興味がなくて、仕事の一服は、フルーツジュースか唐辛子が入った梅茶。ホテルでの朝はモーニングコーヒーではなくて、モーニングビールです(笑)。

週刊朝日 2018年3月23日号

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帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

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