古屋:人は変革期をどう生きるのか。司馬作品を通してのメッセージをいただきたいと思います。

浅田:現在も大変な変革期にあると思います。IT化がすごい勢いで進んでいる。私はついていけない。テレビを見ていてもコマーシャルの半分はわからない。土方のすごかったところは柔軟性があった。変革期には新しいことを理解しなければ、と思いながら私はいまだに原稿用紙に万年筆で書いております。

原田:変革期には勝者より敗者から学ぶほうがいいと思います。才能があるのに無念の思いで死んでいった人たちから学ぶことに意味がある。関ケ原の映画を作った関係もあって石田三成と土方が重なってくる。筋を通して生きている。土方は徳川慶喜みたいな人間を嫌悪していたであろうし、志高く技術の勉強にも励んだ。職人の鑑のような人です。司馬先生が書く前は冷酷無比な男とされていた土方がこれだけ自由に生きて自分の人生を全うしたんだよと教えてくれた。そういう生き方を学んでいます。

木内:司馬さんが書かれるまでは土方も坂本龍馬もメジャーではなかった。そういう人から組織作りや時代を変える目線が生まれた。変革期というと時代を変えた人たちが称賛されますが、今の地盤を守ることも価値がある。変えるほうか踏みとどまるか。最終的に自分がどうしたいのか見誤らないことも大切です。幕末には日和見な人が多かった。得か損かで物事を考えない。自分を通した人生は豊かになると思います。

磯田:我々が直面している問題は土方の悩みそのものだと思います。土方も我々も苦しめられているのは「人間か機械か」という問題です。土方の時代は人間の持つ剣が集団の持つ銃、つまり機械に否定される。銃の前に剣は負けると突きつけられて武士はいなくなった。我々も人工知能・AIの発展に直面している。AIの画像認識もすごいスピードで進み、ここにある菜の花も将来は機械が並べる時代になる。タクシー運転手やスーパーのレジだって人間から機械に変わっていくかもしれない。ある種の人間の否定かもしれない。このテーマはとても大きな意味がある。

浅田:恐怖を感じるね。小説家はアナログな仕事です。会社員ならば最低限パソコンは覚えるのにそれさえできない。それ以前に人工知能が小説を書くかもしれない。

原田:映画界も変わってくる。役者が必要なくなるかもしれない(笑)。デジタライズしてイメージを作ってリアルにすれば、言うことをきくAさんBさんという大スターになっていくかもしれない。

古屋:やっぱり岡田准一さんや役所広司さんのほうがいい(笑)。

原田:もちろんそうですよ。私は土方歳三のように昔からの映画作りにこだわります。幕末には時代を変えようとする若い世代が同時多発的に出てきた。それが今と違う。

磯田:医療技術も進歩するから寿命の姿も変わってくる。何億円もかければ120歳まで生きられる技術ができたら、金持ちは長生きして貧乏人が早死にするのかという問題まで突きつけられる。私は京都に移り住んでから修学旅行の中学生5人を連れて幕末維新の名所を案内したことがあります。コースは彼らが決めて最初は壬生寺の芹澤鴨の墓に行き、新選組の屯所を見せて最後は霊山の幕末志士の墓でした。回った後で「時代は変わるけれども勝っても負けても人は殺さぬことが大事だ」と話しました。格好良く見えるけれど生身の人間が死んできたんだということを抜きにしては司馬さんの本旨に反する気がしました。この物語を読む時にね。

浅田:変革の時代だからこそ必要なのは文学や哲学だと思う。科学は積み重ねてどんどん進歩するから、それを支えるための教養主義がないと崩壊してしまう。

磯田:AIは目標とルールが決まったものについてはあっという間に実現してしまう。しかし、AIは目標を確立できない。原点に戻って考えるためにも教育や人育ての面でも哲学は非常に重要になると思います。

(構成・山本朋史)

週刊朝日  2018年3月16日号