デビュー以来、映画界の第一線で活躍を続けてきた吉永小百合。このたび出演120作目の「北の桜守」(3月10日公開)が完成し、記念作の見どころと映画女優としての矜持を語った。
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よくここまで続けてこられたと思います。映画が好きだから、歩いてこられたのではないでしょうか。
女優でなくてもいいんですよ。映画の仕事をやらせていただけるのであれば、スタッフの方とチェンジしてもいいんです。映画作りのように、みんなで力を合わせる仕事ってなかなかないのではないかという気がします。
女優を続けるかどうかと悩んだ時期もありました。40歳を過ぎた頃に「小説田中絹代」を映画化した「映画女優」(1987年)をやったんです。
私は、原節子さんが42歳で引退なさったことを知っていました。人気の高いとき、まるで天照大神が天の岩戸に隠れるように。そういう引き方もあるんですね。
田中絹代さんは「楢山節考」で、ご自分の健康な歯を抜いておばあさんの役をなさるなど、女優としての魂をずっと持ち続けました。
どちらの生き方も素晴らしいですが、私にはとても真似できません。ここでやめようとか、何年続けようとかと考えず、映画と一緒に自然に年を重ねていけたらと思ったんです。
――今作は、ソ連軍の樺太侵攻に伴い、息子を連れて北海道に逃れた女性役。30代から60代までの壮絶な半生を演じる。後半では年齢のため思い通りに物事を進められず、息子(堺雅人)をいらつかせてしまう。
どう生きたらいいかわからない母親役なので、いろんな面でおぼつかない感じを出そうと努めました。こういう役は初めてで、とても面白かったです。
私は北海道が大好きです。3年前に紋別から知床のウトロまで行き、さらに釧路湿原で鶴を見るという旅をしました。自然の大きさを感じる楽しい旅でした。
その後で、北海道を舞台にした映画のお話をいただいたんです。私は旅に行ったときに網走の流氷の美しさに魅せられてしまったので、「じゃあ、ぜひ流氷を入れた作品に」ということは申し上げました(笑)。
滝田(洋二郎)監督、脚本の那須(真知子)さんと一緒に、樺太に視察にも行って来ました。白樺林の美しさ、空の透明な青さ。1945年に駅まで逃げるために通ったんじゃないかという峠に行ったり。日本人の方が住んでいらしたという家の庭にも入らせていただき、当時の生活を想像することができました。