「医学部入試では、学校で教わらない問題も多いんです。現役のときは塾に行かず、医学部受験用の参考書の演習をひたすらやっていました。予備校で学ぶと、独学では穴だらけだったことが分かりました。1年間で、その穴がどんどん埋まっていく実感がありました」

 もともと理系科目が得意で文系が苦手。医学部だと、センター試験の文系科目でも高得点が求められる。国語や社会は「箸休め的」に勉強したという。

「休憩というと変かもしれませんが、『数学やって頭が疲れたから、いったん社会に飛ぼう』みたいな感覚で。センター試験対策では、ひたすら過去問を解いていました。暗記は得意なほうなんです。僕、数学も暗記だと思うんです。単語や年号の暗記ではなく、考え方・解き方の暗記ですね」

 そうして臨んだセンター試験で9割の得点を確保。前期日程で横浜市立大医学部への挑戦を決めた。後期日程で、かねて志望していた東京医科歯科大医学部を受けるかどうかで迷った。2浪は避けたいと考え、医学部でなく、歯学部を選んだ。その結果、横浜市大は不合格、東京医科歯科大は合格だった。

「正直、手放しで『うれしい!』とは言えませんでした。ずっと医学部をめざしてきたのにという思いがあって……。それが、芸能への道を選ぶことにもつながっている気がします」

 浪人時代、「バイト感覚」で美容サロンのモデルをし、雑誌にも掲載されていた。入学後も続け、徐々に顔も売れてきたが、あくまでも歯科医をめざしていた。ところが、ある“事件”が起きる。

「駅の改札付近で、人が倒れているのを見かけたんです。『助けにいかなきゃ』と気がせく一方で、『でも俺、歯学部生じゃん』と考え、一瞬、駆け寄ることを躊躇してしまいました。このとき、目標だった医学部を選ばなかった事実にコンプレックスを持っていたことに気がついたんです」

 自分の進むべき道について思い悩んでいた大学2年の終わりごろ、東京・赤坂でファッションイベントに出演した。おおぜいのファンから声援を浴びた。

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