西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。貝原益軒の『養生訓』を元に自身の“養生訓”を明かす。
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【貝原益軒養生訓】(巻第八の28)
小児をそだつるは、
三分の飢と寒とを存(そん)すべしと、古人いへり。
いふ意(こころ)は、小児はすこし、うやし(飢)、
少(すこし)ひやすべしとなり。小児にかぎらず、
大人も亦(また)かくの如くすべし。
養生訓ではわずかに3項目だけ、子どもの育て方について説いています。そのうち1項目は「小児の養い方は(益軒の弟子の)香月牛山(かつきぎゅうざん)が書いた『育草(やしないぐさ)』が詳しい。それを参考にするのがいい」(巻第八の30)というものですから、実質的には2項目だけです。
益軒は養生訓を書く前に『和俗童子訓(わぞくどうじくん)』という教育についての著作を出しています。これは全5巻の体系的なもので、わが国で最初のまとまった教育論だと言われています。ですから、養生訓では子どもの養生について、あまり触れなかったのかもしれません。あえて養生訓で語っているのはこんな内容です。
「小児を育てるには、30%の飢えと寒さを与えるのがよいと、古人はいう。そのこころは、小児はいつも少し飢え、かつ少し寒いほうがよいということである。これは小児だけでなく、大人も同じである。小児に常に旨いものを食べさせ、厚着をさせて温かくしていたのでは、のちに大きな禍(わざわい)を招くことになる」(巻第八の28)
ここで、わが少年時代が鮮やかに蘇ってきます。太平洋戦争の終戦が小学校4年のときでした。終戦をはさんでの数年間、物資は窮乏をきわめていましたから、米飯にありつけることなどごく稀(まれ)。ジャガイモなどの代用品でなんとか空腹をしのいでいました。衣服なども乏しく、兄や姉のお古とおぼしき、つぎはぎだらけのものを身につけ、まさにそれが一張羅。いつも同じ服で寒さにふるえていました。