「そういう戦略だったんだろうと思いますが、政権交代ができるかどうかというのは、民進党をそのまま合流させるか、もしくは小池さん自身が選挙に出るしかなかったんです。2つの条件のどちらかが満たされないと無理だと思っていた。私が『次の次』と言ったら、『若狭は政治的に未熟だ』と批判されましたが、僕は戦略的に考えていた。私は検事を30年近くやっていて特捜部で政治を扱っていたからそんな戦略なくして言わないですよ」

――発言後、小池さんからは何か言われましたか?

「ああいう話はしないでという趣旨の注意は電話で言われました。でも、小池さんは自分が出馬しないことを前提に方針を打ち出した方がよかったと私は今でも思っています。『急がば回れ』です。あくまで小池さんは小池さんの考え方があるので、一応のシグナルは出したので、それ以上のことは言わなかった」

――小池さんが一人で9月25日に会見し、これまでの経緯を「リセット」し、希望の党を設立すると宣言したとき、若狭さんは携帯電話が壊れていたので、知らなかったと説明されていましたが、あれはアドリブですか?

「もともと新党というのは小池さんと僕で作ろうということで進めてきて、小池さんが代表になるということ自体は半分くらい折り込み済みだった。それまで私と細野(豪志)さんがやっている枠組みをリセットして、小池さんが単独代表でやるという枠組みにしますよ、という意味なので、私自身はぜんぜん違和感がなかった。世論調査で希望の党がかなり高い支持を示していたので、自分が代表になるとより一層、大きな期待を集められると判断したのだと思います」

――会見をすることは事前に聞かされていなかった?

「小池さん自身がそれをやろうと決めたのはたぶん、前日じゃないかな。僕は希望の党の設立届けを26日に出すべく作りあげていたので、もし、小池さんが前々から代表をやると思っていたのであれば、もうちょっと待ってほしいとなるわけです。小池さんが会見し、設立届けの代表者を急遽、変えたので」

――最初の設立届けの代表は若狭さんになっていた?

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