
山野栄子ダイアン(やまの・えいこ・ダイアン)(左)/1940年、米国カリフォルニア州生まれ。太平洋戦争中、幼少期の1年を日系人強制収容所で過ごす。サンタモニカ大学で看護学を学び、卒業後、創設から間もないロサンゼルスのヤマノ・ビューティカレッジに入学。美容師の資格を取得し、ビバリーヒルズの高級美容院でカラースペシャリストとして人気を博す。2013年、山野学苑学苑長に就任。(撮影/写真部・大野洋介)
美容界をリードする学校法人・山野学苑の山野正義さん。美容界をリードする名物総長も、家のドアを開けるとやさしい夫に変身する。日系3世の妻・ダイアンさんとの結婚生活とは?
※「山野学苑沢総長 結婚生活53年で“1度だけ”したケンカとは?」よりつづく
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夫:僕は若いときから一生懸命働いたから、お金は使い切れないくらいある。毎朝、起きると彼女に言うんです。「きょう、何か買いなさいよ」って。
妻:私があまり買い物をしないことを知っているから、そんなことが言えるんですよ(笑)。
夫:ブランドものも買わないし、ドレスも自分でデザインして、アメリカのお母さんが縫っていたものね。でも二人で旅行はします。アメリカには年に6回、ヨーロッパにも毎年行っています。
妻:米国にも自宅があるので気軽に行けるんです。両親がいたころは帰るのが楽しみでした。
――夫の渡米から27年後の82年、仕事と生活の拠点を日本に移した。
妻:日本に来て、生活も変わりました。米国では週末に車で買い物に行っていましたが、日本では一日おきにスーパーに行きました。
夫:僕が納豆を買ってくると、糸をひいているから腐っていると思われて捨てられちゃう。「オレの納豆はどうした?」なんていうこともあったね。
妻:洗濯もアメリカでは乾燥機が当たり前だったけど、日本では外に干さないといけません。夫の母にはお料理、茶道、三味線など日本の文化を教えてもらいました。2人の娘は朝丘雪路さんに日本舞踊を習って、歌舞伎座で踊ったこともあります。母の仕事も近くで見ていましたが、とても面白かったですね。
夫:わが家は鍵を開けてドアを入れば全部英語なの。
妻:最初は日本語がわかりませんでしたが、夫の兄弟はみんな英語ができたので、親切にしてくれて本当に助かりました。娘たちはアメリカンスクールに通いましたけど、日本語は私より上手です。
夫:53年間、いつもいっしょ。アメリカだって一人で行ったことはない。朝食も夕食もいっしょに食べています。
――結婚生活を振り返って、お互いをどう見ていて、直してほしいところはあるのだろうか?
夫:彼女は美容学校に入る前に弁護士の秘書をしていました。だから相手がニクソン大統領でもレーガン大統領でも、実にきちんとした手紙を書いてくれる。僕がひとこと言えば、それをうまく伝えてくれて、みんな僕に一目置いてくれます。超一流の秘書がいるようなもの。日本人の女性では決して望めなかった結婚をしたと思っています。