思い出のコートで会見に臨む伊達公子 (撮影/大塚淳史)
思い出のコートで会見に臨む伊達公子 (撮影/大塚淳史)
笑顔で花束を受け取る伊達公子(撮影/大塚淳史)
笑顔で花束を受け取る伊達公子(撮影/大塚淳史)
一番の思いではグラフとの勝負だったという。2000年のエキシビションマッチの後、グラフと笑顔で話す伊達=東京体育
一番の思いではグラフとの勝負だったという。2000年のエキシビションマッチの後、グラフと笑顔で話す伊達=東京体育

 女子テニスの伊達公子(46)は9月7日、引退会見を開いた。会見会場に選んだのは、思い出のつまった東京・有明コロシアムのセンターコート上だった。26歳でいったん引退したが、37歳で現役に復帰。今回は2度目の引退会見となった。

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「こんな幸せなアスリートはいない」

 と笑顔で競技人生を振り返った。

 長年、日本の女子テニス界を引っ張り続けてきた“鉄人”。8月28日にブログ上で引退を発表していた。引退を決断したのは8月上旬だったという。

「7月に大会のためにアメリカに行ったのですが、昨年4月に手術したひざに加えて、肩にも問題がでた。自分の中で整理してみると、決断しないといけない時期なのかなと思った」

 1990年代にはテニス4大大会の女子シングルスで3度4強入りした。95年には世界ランキング4位になり、日本人初の4大大会での優勝が視野に入っていた。163センチとプロテニス選手としては小柄だが、ボールのバウンド際を打つ「ライジングショット」を武器に闘った。

 96年に突然1度目の引退を表明した時の心境を、こう語る。

「当時は海外でプレーする(日本人)アスリートは今と違って、数は少なくて、環境も違いました。それを受け入れるだけの精神力も器もなかった。勝ち続けなければいけないという、いっぱいいっぱいの中で戦って疲れ果てていた」

 長年テニスの取材をしているテニスクラシック・ブレーク編集部の村山純一さんは、

「伊達さんは90年代のころは、海外ツアーの時は炊飯器や米を持参してました。ウィンブルンドンへ取材しにいく際、『伊達さんから梅干しを持って来て欲しい』と人づてに頼まれ、買っていたことがあります。当時の伊達さんは、試合前となるとピリピリした雰囲気で近寄りがたかった。引退後に現役に復帰してからは、(メディアとの)距離感も変わって近寄りやすくなった」

 と思い出を語る。やはり、海外で試合が続くことは大変だったのだろう。

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