

/阿川佐和子 東京都生まれ。著書に『ウメ子』(坪田譲治文学賞)、『婚約のあとで』(島清恋愛文学賞)、『聞く力』など。最新刊は『強父論』


東京都生まれ。著書に『猛女とよばれた淑女─祖母・齋藤輝子の生き方─』『窓際OLトホホな朝ウフフの夜』など(写真提供=新潮社)
6月18日は「父の日」。今は亡き著名作家たちが愛した店の名物料理の思い出を、娘たちが語ってくれた。
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【阿川弘之&阿川佐和子】
父は常々「人生は短い。食べる回数は限られている。だから一食たりとも不味いものは食べたくない」と言っていました。
たまに口に合わないものを食べると、「貴重な一食を損した」って、機嫌が悪くなる。
晩年に入院してからも、「ヤギのチーズ」とか「ちらし寿司」とか、「鰻の蒲焼」とか具体的に食べたいものを指示するんです。
父が元気な頃から通っていた気に入りの店の料理を、いくつか差し入れしましたが、その中でも、中国飯店の「フカヒレの姿煮」は父の大好物でした。プラスチック容器に入れて持っていくと、うれしそうに食べてくれて。同じ店の小エビと卵白の炒めものや、チンジャオロースーも持っていきました。
ある日、入院中に病室に電磁調理器や材料を持ち込んで、その場ですき焼きを作って食べさせたところ、父が大変に気に入って。それ以来、亡くなる直前まで毎週のようにすき焼きを作りに通いました。それは私の思いつきだったんですが、あんなに喜ぶとは思いませんでした。
最後の最後まで食い意地が張っていたことについては、いかにも父らしかったと思います。やはり食べたい気持ちがあるうちは、なるべく望みを叶えてあげたいと思ったものです。
最後に「トロのいいのを食いたいね。鯛のサシミもいいな」と呟いたので、慌てて用意して持っていったのですが、大して口にすることができず、その翌日に息を引きとりました。それがちょっと心残りですね
。
【北杜夫&斎藤由香】
父との外食というと、近所のお寿司屋さん「磯勘」がまっさきに頭に浮かびます。
父は水産庁のマグロ調査船に船医として乗った時の事を『どくとるマンボウ航海記』に書いていますが、船の中では、毎日のように釣りたてのマグロが食卓に上っていたようで、大のトロ好き。でもワサビはさすがになかったようで、同書に「ただひとつ残念なことに、船には本物のワサビがなかったことで、もしいくらかのワサビを入手できるのだったら、私は魂の二つや三つ平気で売り飛とばしてしまったろう」という一文が出てきます。
店ではまず大トロを食べて、鰈の唐揚げや白身の刺身、蛸をやわらかく煮たものなどの酒の肴を頼んでから、ウニ、イクラ、シメサバなど数種類のお寿司を味わって、また最後に大トロを頼んでいました。
磯勘の目の前に菅原神社があり、秋祭りの日にお寿司を食べた後、父と屋台でヨーヨーを釣ったのが、昨日のように思い出されます。
ちなみに、こちらのお店で、政治家や作家をカウンターで見かけることがあります。わざわざ都内からタクシーで来られるのでしょうね。隠れた名店だと思います。(本誌・工藤早春)
※週刊朝日 6月23日号より加筆