落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は、「思春期」。

*  *  *

 齢、39。最近、白い鼻毛が生えるようになってきた。鏡で鼻の穴をのぞくと、左右に常に1、2本の白髪の鼻毛。毛抜きで抜くが、すぐに捨てるのはもったいない気がして、それをしげしげと見つめる。半透明の美しい白。洞窟の漆黒の闇から彷徨(さまよ)い出てきた妖精のようだ。クリオネのような愛らしさ。白くなることで、鼻毛は清潔感が8割増しになる。オッサンになるのも悪くない。

 耳毛も生えるようになった。入り口付近の小高い丘に、産毛より濃い黒の毛。これも毛抜きで抜く。こちらには美しさは感じず、すぐにポイ。あれって生きていく上で必要かしら?

 順番だと次は陰毛に白髪だろうか。いよいよ、という感じだ。

 下腹部からの、初めての発毛は中1の夏だった。

「えっ! もうかっ!!」

 新芽を見てそう思った。突然アイツは現れた。気付いた時には1本の頼りない縮れっ毛が、1センチくらいの長さに。前触れもなしに急に現れやがった。そういえば2、3日、目を離した。その隙を突かれたようだ。

 たった1本のそれを見て、私は焦った。同時にちょっとイラついた。急に出てきて「もう、きみ、大人だよ」みたいな顔されても、こちらは納得できない。お前ごときに大人と子供のラインを引かれたくはない。ふざけんなよ、ちん毛。俺はお前のあやつり人形じゃない。

 だから、思い切って抜いてみた。私の下腹部は元の更地になった。毛をフッと吹き捨てて、

「まだ大人になんかならないぜ」

 と強がってみたが、今思えば大人になるのが怖かったのかもしれない。翌日、

「昨日ちん毛が生えてたので抜いてやった!」

 と得意げに友人に話すと、

「まずいんじゃないか?」

 と眉をひそめる。友人いわく、

「最初に生えたちん毛を抜くと、二度と生えなくなるらしいよ」

 そんな馬鹿なことがあるか。

 
「お父さんが言ってた。『そういうもんはなるようになるんだから、むやみやたらに触ったりしないほうがいい』ってさ」

 友人の落ち着きはらった言い様が、私を不安に陥れた。

「ひょっとして毛生え薬が必要かもしれない……」

 夏の中1男子は馬鹿だ。半信半疑のまま、毛生え薬の新聞広告を読むと、とても子供の手の届く価格ではない。

 その日の晩、お風呂に入ってちんちんを洗っていると、昨日抜いた反対側からもう一本毛が生えてきている。

「!! やっぱ嘘だったか……」

 浴室で独り、口に出して言ってみたが、心底ホッとした。

 それからは雨後のタケノコのように生えてきた。あれよあれよという間に、なんとなく大人な下半身になってしまったのだが、やっぱり最初のちん毛には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 もっと大切にしてあげてもよかったんじゃないか。

 だから白い陰毛が生えてきたら、その分丁重に扱ってあげようと思う。その心構えはとうにできている。いつでも来い、だ。

 もし何十年先、私の下腹部が真っ白に染まったその時。耳毛にも優しくしてあげられるような、そんな本当の大人に、私はなれるんだろうか……。耳毛にはまだまだ厳しく当たってしまう青い私は、2回目の思春期を迎えている、のかもしれない。

週刊朝日 2017年5月26日号

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