本土復帰運動が燃え盛った60年代末のルポにも「沖縄の市民生活は意外にも穏やかだった」と書かれています。当たり前の話です。人々にはみな、日常の生活があります。心の奥底は、打ち解けて語り合ってみなければわからないのです。
私は、本土の人にとても正確に伝わっているとは思えない県民感情の内実に分け入ってみたい、と考えて約2年、沖縄通いを続けることになりました。
――取材を終えて感じたことは何だったでしょうか。
三山:政府と沖縄との関係が危機的な状況に陥っている今、沖縄という土地で、19年前には自覚が薄かった「ヤマトゥンチュ」という自らの立場を痛感せざるを得ませんでした。よそ者である自分を忘れずに、本土へのメッセンジャーに徹したつもりです。最近の沖縄報道には、つまみ食いのような取材しかしていない「結論ありきの記事」が目立ちます。インターネットには「沖縄は中国に操られている」などという荒唐無稽な陰謀論も溢れている。その意味で沖縄は今、「ポスト・トゥルース」や「フェイクニュース」のショーケースのようになってしまっています。「歯切れのいい結論」だけを求める読者には、不満かもしれませんが、私はこんな時代だからこそ、敢えて“ねちっこい、愚直な取材”を心がけました。
三山喬(みやま・たかし)
1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒。朝日新聞学芸部・社会部記者を経てフリーに。2000年から07年にかけ、ペルーを拠点として南米諸国のルポルタージュ記事を各誌に発表。帰国後もルポや人物ドキュメントの取材・執筆活動を続けている。著書に『日本から一番遠いニッポン 南米同胞百年目の消息』(東海教育研究所)、『ホームレス歌人のいた冬』(文春文庫)、『夢を喰らう キネマの怪人・古海卓二』(筑摩書房)、『さまよえる町 フクシマ曝心地の「心の声」を追って』(東海教育研究所)がある。
※週刊朝日オンライン限定記事