倉本聰が「いま実現可能な、最高の女優陣」を集めたと話題になっている新作ドラマ「やすらぎの郷」。五月みどり、野際陽子、八千草薫──今も昔も美しい女優たちの若き日の姿を、本人たちが語る思い出と共にお届けする第2弾!
■五月みどり 「ハイヒール」が若さの秘密
これは、映画「銀座の次郎長」(1963年)を撮影していた時かしら。レコード「一週間に十日来い」もヒットしていたので、毎日のように、こうしたグラビア撮影がありました。
この頃は、今のようにスタイリストさんはいませんでしたから、水着も花飾りの帽子も、自分で用意しました。
私、見ていて楽しくなるような、洋服や靴や雑貨なんかを集めるのが好き。こうして今でもお仕事できるくらい健康でいられるのは、おしゃれに興味というか、好奇心があるからかもしれません。
この前、下駄箱を整理していたら、私の持っている靴、ほとんどがハイヒールだったの。ハイヒールを履いていると、緊張するというか、自然と姿勢が良くなるでしょう。お洋服だって、靴に合わせるから、だらしない格好はできない。そういうことを意識することが、老けこまない秘訣なんじゃないかしら。
■野際陽子 60代、70代は“なかなか”な年代
1963年頃ということはNHK退局後に、TBSで「女性専科」の司会をしていた頃ですね。ご存じない方もいるかと思いますが、私、最初は今でいう女子アナだったんです。でも、あまり優秀ではなかった(笑)。ニュース原稿を読み間違えたり、時間ギリギリにスタジオに入って汗だくでカメラの前に立って、視聴者から「あの人は具合が悪そうだった。大丈夫ですか」って心配されたり。
でも、充実していましたね。恋も失恋もしました。
その頃から今まで、女優としてやってこられたのは、健康法や美容法で、「これいい」と思ったら、割合素直にすぐやってみたのがよかったのかしら。自分なりに「これは効き目がある、こっちはそうでもない」とか考えるのが、好きなんです。
私は今、80代ですが、60代、70代は人生の中でもなかなか素敵な年代ですよ。人生を思いきり楽しんでください。
■八千草 薫 毎日スタジオの隅で泣いていました
まだ宝塚歌劇団の娘役だった1955年頃かしら。あんまり覚えていないけれど、こういうモデルさんのようなこともしていたんですね。
この頃は、宝塚の舞台と、東京の劇場や映画スタジオとの往復で、毎日クタクタでした。当時は、新幹線も飛行機もないから、大阪から東京への移動は夜行列車で8時間半もかかって。そんな生活が悲しくて、毎日のようにスタジオの隅で泣いていました。でもそれが当たり前。
一般的には女優って、きれいな服を着て台詞を言うだけで、あまり動かないように思われていますが(笑)、昔は掃除や手伝いで動き回るのが普通で、私も子供の頃、雑巾で家の廊下を端から端まで拭いていました。今もなるべく家の中のことは、自分でするようにしています。
今でも動ける体でいられる理由は、それかもしれません。
※週刊朝日 2017年4月7日号