数多くある「戦国武将人気ランキング」系サイトでの石田三成は、その悲劇性ゆえか女性の支持者が多い人気武将のひとりだ。
戦国時代を背景にした時代劇で三成を演じた俳優は皆美男子系で、昨年話題になったNHK大河ドラマでは、山本耕史が扮し、繊細で理知的な役を好演した。頭脳明晰で緻密な計画を立て実行することが得意という側面がよく表現されていた。
そんな三成の愛刀は、「石田正宗」。棟(むね)や鎬(しのぎ)、茎棟(なかごむね)の刀身部分に深い切り込み瑕(きず)が二つあるところから「石田切込正宗」ともいわれている。鎌倉末期から南北朝時代初めに、相模国鎌倉で活躍した天才刀工・正宗の作刀で、刀身は2尺2寸7分(68.8センチ)。正宗は日本刀剣史上もっとも著名な刀工のひとりで、「相州伝」と称される作風を確立し、多くの弟子を育成した。正宗の刀剣は現在も、国宝、重要文化財級のものが多く、美術品としても大変高い評価を受けている。
『享保名物帳』(本阿弥光忠が編纂し幕府に提出した名刀リスト)に、元は毛利若狭守が所持していたところ、宇喜多秀家が400貫で買い取り、秀家から三成に贈られたと記されている。
三成は秀吉亡きあと「五奉行」のトップとして君臨するが、家康に匹敵する勢力を持っていた大老前田利家が病死すると、家康や他の奉行と対立。武断派の加藤清正、福島正則、黒田長政らの七将が、三成の大坂屋敷を襲撃する事件(石田三成襲撃事件)がおきる。伏見城内に逃れていた三成は、敵対する家康に保護を求めるという奇策をうち世間を驚かせた。関ケ原の戦いで敗れ、六条河原で処刑された末路はあまりにも有名だ。その事件後、帰城する三成を警護したのが家康の次男である結城秀康。三成は感謝の印として秀康に「石田正宗」を贈り、秀康死後は子孫の津山松平家に代々伝えられた。