クイーン・メリー・ジャズ・フェスティヴァル
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「マイルス・バンドは85年までだった説」についてワタシはこう考える
Queen Mary Jazz Festival (Sapodisk)

 マニアのなかには、「マイルスのバンドはジョンスコとアーヴィングがいた時代までだよなあ、評価できるのは」とうそぶく人がかなりいる。たしかに一理あるとは思う。ただし、そのようにうそぶく人の意見をよくよく聞いてみれば、たいした理由も根拠もなく、ただ雰囲気でいっている場合が少なくない。ワタシが「うーむ、一理ある」とする理由は、マイルスが雇用するミュージシャンの質が変わったことに起因する。くり返すが、質が「落ちた」のではなく「変わった」のである。いや、たしかに落ちた面も多々あるが、それはまた別の話として、まずは質的変化から説明しよう。

 マイルスがミュージシャンを雇う場合、選択基準はふた通りある。ひとつは、プレイヤーとして優れているか。もうひとつは、「オレが気に入るような曲が書けるか」という作曲家としての才能。ここでマイルスの歴史をふり返ってほしい。マイルスは、常に「曲が書けること」を第一にミュージシャンを起用してきた。そして、作曲ができるメンバーがひとりでもグループにいる場合、他のメンバーは「たんに優れたプレイヤー」でまとめる傾向にある。ただし、ここからが一筋縄でいかないのだが、作曲ができればいいというものでもない。問題は、その曲をマイルスが気に入るかどうか。よって作曲の才能があるにもかかわらず、あまり楽曲を取り上げられなかったミュージシャンも多い。その代表がホレス・シルヴァーだろう。マイルスと共演していた当時はホレスが作曲家として脂が乗っていた時期。しかしマイルスは、自分には合わないとの理由から取り上げなかった。

 そこで冒頭の難題に戻るわけだが、マイルス・バンドの弱体化の要因は、誰ひとりとしてマイルスが気に入るような曲が書けず、プレイヤーに徹するしかない職人、つまりはスタジオ/セッション・マン的資質をもったミュージシャンの集合体と化した点にある。グループ内に作者が不在ということになれば「この曲はこうしよう、ああしよう」といった議論が巻き起こるはずもなく、マイルスが「これでいくぞ」と言ったが最後、周囲はイエス・マン揃い、これでは刺激的創造的成果は無理というもの。

 ジョン・スコフィールドとロバート・アーヴィングは、そういう意味で最後のマイルス・バンドを支える2大支柱といえるだろう。ともに作曲ができ、しかもマイルスもそれらの曲を気に入っていた。そんな時代の85年ライヴ、難解でかっこいい《ユアー・アンダー・アレスト》を聴こうではないか。ちなみに音質は超最高。

【収録曲一覧】
1 One Phone Call / Street Scenes-Speak
2 Star People
3 Maze
4 Human Nature
5 Something's On Your Mind
6 Time After Time
7 Ms. Morrisine
8 Code M.D.
9 Pacific Express
10 Hopscotch
11 Katia
12 You're Under Arrest
13 Jean Pierre / You're Under Arrest
(2 cd)

Miles Davis (tp, synth) Bob Berg (ss, ts) John Scofield (elg) Robert Irving (synth) Darryl Jones (elb) Vincent Wilburn (ds) Steve Thornton (per)

1985/4/20 (Long Beach)