作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。北原氏は韓国のデモ、少女像問題について言及する。

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 大晦日はソウルで過ごした。今、ソウルでは、毎週土曜の夜に光化門前に市民が集まり、朴槿恵政権への抗議の声をあげている。土曜日が大晦日と重なったこの日も、幅34メートル×長さ557メートルの巨大広場、さらに12車線の道路全て塞いでもなお人の波が路地に溢れるほどの熱気に満ちていた。巨大ステージが組まれた会場では、スピーチとライブが交互に行われ、有名な歌手のステージなど街が揺れるほど大きな歓声で盛り上がっていた。なにこれ、デモなの? フェスなの? しかもマイナス4度なのに何でこんなにみんな熱いの!?

 韓国のデモは、なぜなんだろう、私が知っているデモとまるで違う。例えばソウルの日本大使館前には、毎週水曜日になると日本軍「慰安婦」被害者や支援者が集まる。中学生から老人まで数百人規模で集まる場でくり広げられるのは、歌や踊り、芝居、そして丁寧な語りだ。1992年からずっと、決まった時間に彼女たちは立ち続けてきた。以来欠かさなかった集会を初めて休んだのは、阪神・淡路大震災の時だった。大使館前での抗議を「反日」と言う人は多いが、東日本大震災の時は追悼集会を開き、地震の時は、日本軍「慰安婦」被害者である金福童さんが募金を呼びかけていた。時には「独島は韓国固有の領土」と勇ましいプラカードを持つオジサンがうろついているけれど、こういう人は、人権と平和を訴える女たちの場で完全にアウェイだ。

 
 水曜集会が始まったばかりの90年代前半の映像を見たことがある。たった数人の女性たちが「日本政府は謝罪しろ!」と声をあげ、街行く人は、ただ前を足早に通り過ぎていった。「恥ずかしい過去を何故語る?」というのが当時の韓国社会のフツーの眼差しだったという。そういうなかで、四半世紀、女性たちは日本大使館前に立ち続けた。これは女性の人権の問題なのだと訴え続け、韓国社会だけでなく国際社会も動かしていった。その集会の千回を記念して2011年に創ったのが、「平和の碑」だ(一般に「少女像」と呼ばれている)。

 一昨年末の「日韓合意」は、国会での公式謝罪、教育、賠償を求めてきた被害者からすれば受け入れられないものだったろう。さらに被害者の闘いの記憶である「少女像」まで持ち出されたことで、市民たちの関心が高まった。

 今、話題になっている釜山の日本総領事館の前の「少女像」は、「合意」への抗議として市民たちが企画したものだ。ソウルの「平和の碑」と釜山の「少女像」は設置の背景も、創った団体も違う。それでも、たとえどんな理由であっても、国家の横暴に「それは違う」と声をあげる権利がどの国民にもあるはずだ。

 日本のメディアは「韓国が約束を反故にした」という方向の報道ばかりだけど、嫌悪を煽るのではなく、冷静に考えてみたい。「忘れさせよう」とする国の力と、「忘れてはならない」と考える人々の声。どちらに私たちは寄り添うべきだろう。

週刊朝日 2017年1月27日号