落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は、「トリ」。
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噺家は「真打ち」に出世すると、寄席で「トリ」をとることができる。「主任」と書いて「トリ」と読ませる。その興行を任せられるわけだ。
4年前に真打ちになって、初めて寄席でトリをとったのが平成24年3月21日の上野鈴本演芸場・夜の部。真打ち披露興行の大初日だ。
舞台袖に私の師匠・一朝、当時の落語協会会長・柳家小三治師匠、他たくさんの先輩が私の高座をご覧になっていて、とにかくやりづらかった。「先に打ち上げに行っててくれよ……」と思いながらの40分。あとで、
「お前の師匠が笑ってる横で、小三治師匠がムスッとしていたよ(笑)」
と、お節介な先輩が教えてくれた。弟子の噺を聴いて笑えるうちの師匠は、素敵な人だ。
その2週間後、4月3日。新宿末廣亭・夜の部。その日は「爆弾低気圧がくるので夜間の外出は控えるように!」との気象庁からの勧告。お爺さんの出演者が2人、「わしゃ、行かん!」と来なかった。
しかし客席はほぼ満員。こういう時はテンションが高い。暴風雨が末廣亭の屋根を叩きつけるなか「らくだ」。はねて表に出ると雨は止み、お月さんがポッカリ浮かんでいる。
「圓歌師匠、木久扇師匠……綺麗な月夜ですよ」
心の中でそっとつぶやいた。
「落ち着いてー、大丈夫です」
大丈夫じゃないかもしれないなと思いながら、妙に落ち着いている自分。
「震度5弱だって!!」
客の一人が叫んだ。
「ありがとう! 揺れも収まったし、じゃ始めますか!!」
というと、
「私、帰るッ!!」
と、最前列のオバサンが飛び出していった。オバサン、私はあんたを忘れはしない。
今年の9月。終演後、楽屋口を出ると、お母さんと小学生の親子連れ。
子「CDにサインしてください!」
サインしていると、
母「初めて寄席に来たんです。主人が一之輔さんの大ファンで」
私「お父さん、今日はお仕事ですか?」
母「……実は数カ月前に病気で亡くなりまして、いつも病床で一之輔さんのCDを聴いてたんです。主人がそんなに好きだった落語家さんを一度生で聴きたいと思ってたんですが……なかなか心の踏ん切りがつかなくて……ようやく今日来れました」
映画だったら、このままお母さんと私は恋仲になり一緒になる。男の子に拒絶されるが次第に打ち解ける私たち。葛藤しつつも息子は落語家になり、真打ち昇進の報告に実父の墓前で泣きながら一席落語を話す……。
軽くそんな妄想をしたが……家族いるから、俺。
でも噺家冥利に尽きるなあ。
私「お父さんのお名前はなんと?」
親子3人のお名前を書き入れたCDを手渡し、「また来てねー」と手を振りましたとさ。
トリをとると、けっこうドラマが待っている。
※週刊朝日 2016年12月9日号