「一緒に戦った選手にはメダルを持って帰ってもらいたい。それしかないです」
【写真特集】上下逆ではありません。水中カメラがとらえたシンクロ競技
シンクロナイズド・スイミング日本代表の井村雅代ヘッドコーチ(66)の言葉だ。
2004年アテネ五輪後に日本代表ヘッドコーチを退き、08年北京、12年ロンドン両五輪では中国を率いてメダルを獲得した。井村は14年、10年ぶりに日本代表に復帰。五輪では2大会ぶりとなる表彰台に日本代表を導いた仕事人は有言実行の人だ。
復帰直後、日本代表選手を「ゆるキャラの極み。豊かで平和な日本の若者の象徴」と評した井村。まず、「丸くて、絞れていなかった」という選手の肉体を鍛え、体脂肪率を平均5%削減した。昨年1月からは同7月の世界選手権に向け、「下手は練習せなあきまへんねん。自分で限界決めるな」と130日以上に及ぶ合宿を敢行。「あなたたちはメダルなしに慣れているかもしれんけど、私は許せない」と、2選手がついていけずに離脱したほど激しい練習を課した。
そして選手権直前には、
「命を懸けていかな。美しさを競うけど、ケンカと一緒。ここであかんかったらリオは見えない。逆に、ここでメダル取ったらリオもいけます。あかんかったら辞めてもいい」
その結果か、日本は見事、4大会ぶりのメダル(銅)を奪取した。採点競技のシンクロでは“序列”が存在するのが現実。トップ・ロシア、2番手・中国の力が盤石ななか、3番手を争っていたスペインとウクライナを抑え、その座に日本が入ったことに意味があった。
しかし同11月、五輪最終予選に向けた日本代表最終選考会で「あれだけ体を鍛え上げたのに、戻ってる。また怒鳴りまくらないといけない」と、井村の心は休まることはなかった。当時のインタビューで、こう語っている。
「どこかで勝負賭けないと、人は大きな仕事はできない。白黒ハッキリつけないと。私は、グレーは嫌」
本番が迫った、6月のグアム合宿は壮絶だった。
「最悪の条件が整っている。何が起きても打ち勝って自分たちのパフォーマンスを出し切る力をつける」
日差しや風の影響を受ける屋外プールの五輪会場と同じ環境で、早朝5時半から夜まで追い込んだ。
「メダルを取ったらわかる。『絶対良かった』と思うから、とにかく言うこと聞いて」と言い続けた井村。厳しい練習を突き抜けてこそ、栄冠が輝くという典型だろう。(ジャーナリスト・渡辺勘郎)
※週刊朝日 2016年9月2日号