認知症の予防から診断、治療までを解説する週刊朝日ムック「すべてがわかる認知症2016」。認知症専門医がいる病院を対象に独自調査をおこなっている。今回はその中から抜粋した記事を紹介する。
仙台市在住の中村通さんの妻、伊久子さんは2013年に認知症の診断を受けた。一時は「限界だ」と思われた介護生活からどうトンネルを抜けたか。当事者をサポートする、夫、医師、介護福祉士の声を追った。
●2012年1月
通さん「家内が仕事を辞めてしばらくして、それまでほとんどお酒を飲まなかったのに、毎晩飲むようになりました。また、料理は家内がやっていたのですが、だんだんしなくなり、しても毎日同じ料理ばかり。また、家族に対して暴言を吐くように。徐々に生活が退廃的になっていきました」
●13年2月~14年3月
通さん「13年1月に近くの脳神経内科で家内が『アルツハイマー型認知症』との診断を受けました。そこで治療を受けていたものの、家内の様子は悪化していきました。家内が一人で買い物に行くと、1時間半くらい、買い物かごの中に商品を取ったり戻したり。そして、その商品を持って帰ってきてしまうこともありました。そこで、スーパーの店員さんに『この人がお店に来たら連絡をください』と家内の顔写真と私の連絡先を書いた紙を渡していました。無理に行動をやめさせようとしても興奮してしまって……。また、夜、私の仕事中にこっそり家内が外へ出かけて、骨折して帰ってきたことも。仕事でつきっきりではいられなかったので大変でした」
●14年4月
――通院先の病院では、医師は伊久子さんにいつもと同じ問診をする。「今日は何日ですか?」「今日のご飯は何を食べましたか?」……そしていつもと同じ薬が処方される。
通さん「病状についての説明や、私に家内の状況を聞くこともなかったし、また、こちらも先生に相談できるような雰囲気ではありませんでした。『このままではもうだめだ』と思い、私が非常勤講師を務める専門学校の介護福祉科の先生に相談をしました。すると『それはただのアルツハイマー型認知症の症状ではない。すぐに地域包括支援センターに行ってみたほうがいい』と言われ、すぐに仙台市の地域包括支援センターに相談し、紹介された『いずみの杜診療所』に電話で、家内の状況を相談しました」