
Live In Tokyo / Thad Jones Mel Lewis & The Jazz Orchestra (DENON [Nippon Columbia])
誰にも生涯忘れえないライヴが二、三はあるだろう。筆者にとっては通称サド=メル・オーケストラの来日公演がそれだ。父の営む町工場への就職を強いられ、いつ終わるともいつ休めるともつかない身にコンサートに足を運ぶのは夢物語に近かったが、これだけは絶対に!という思いでチケットを入手した。とはいえ、本当に行けるのか行けたとしても開演に間に合うのか不安は当日も拭えない。3月という時期と作業が幸いした。堺の機械メーカーで配管をしていたが屋外とあって5時には暗闇、大阪の自社に撤収することに。大慌てでスーツ!に着替え駆けつける。開演時刻には遅れたが、幸い開演も遅れていた。満員だ。当代随一の実力と人気を誇ったビッグバンドの公演とあって熱気に溢れている。やがて開演、熱演の連続に圧倒され、終演時刻が過ぎてもアンコールにつぐアンコール、まさしく怒涛の3時間だった。放心状態は当夜から数日も続き、労働意欲を喪失させる。
バンドの来日はこれが初めてではない。結成から2年目、1968年7月に来日している。
杜撰なマネジメントから無計画で来日、新宿のピットインや紀伊国屋ホールほかで急場の公演を行い涙ながらに帰国した。もちろんライヴ録音はなくメンバーが最も充実していた初期だけに遺憾の極みだ。それから6年、バンドは2月27日から3月13日まで10公演をこなし、各地で絶賛の嵐を巻き起こした。その衝撃を観ていない方に伝えるのは難しい。
東京公演の模様はFM東京系列で流されたと記憶するが、「こんなもんじゃなかったぜ」と思った。ライヴ録音の権利は各社が争奪戦を繰り広げた末にコロンビアが獲得し、7月に推薦盤が発売される。これにもいち早く飛びついたが、力感や躍動感や熱気が今一つで、物足りなさは一掃されなかった。それはバンドの生の迫力に接した者ならではの反応で、聴衆のそれぞれが自分の聴いた公演がベストにちがいないと信じているのかもしれない。
公演前に少し不安はあった。近作『コンサメーション』(1970年1月/Blue Note)の精妙なサウンドに馴染めず、両リーダーと、ジミー・ネッパー、クリフ・ハサー(トロンボーン)、ジェリー・ダジオン(アルト、ソプラノ)、ペッパー・アダムス(バリトン)、ローランド・ハナ(ピアノ)を除く面々がほぼ若手に一新されてもいたからだ。しかし、コンサートでは昔ながらにソロの競演を延々と繰り広げ大いに溜飲を下げさせてくれた。推薦盤にはツアー終盤に東京で行われた公演から4曲が収録、いずれもサドのペンになるサド=メル・スタンダードで、メンバーの見せ場にも配慮した長めの演奏になっている。《ワンス・アラウンド》の目玉はゴリゴリ、ゴリゴリ、抜群の存在感で迫るアダムスだ。蠍が鍋の底を這い回るようなバリトンを嫌っていたが、ここから好みのタイプになった。続くハナの壺を心得たソロも上々なら終盤のメルのソロも創意工夫に溢れ退屈させない。
《バック・ボーン》ではダジオン、ハナ、ネッパーらが好ソロをとるが一番の聴き物はメルのソロだ。しかし、地味の化身かと思えたメルのこのときの力感漲るビッグバンド・ドラミングには目を見張った。直にふれて大の贔屓になった一人だ。《ミーン・ホワット・ユー・セイ》ではハナがトリオでスタート、アダムスを経てテーマ提示、サドらのソロにアンサンブルが絡み、全合奏に至る構成の妙が聴き所だ。《リトル・ピキシー》は終盤の売り物で両リーダーとトロンボーン陣を除くほぼ全員がフィーチャーされた。ダジオンとハナを除いて短めの1コーラスをリレーするなかではビリー・ハーパー(テナー)が光る。ほかの若手は非力が隠せない。それよりも斬新な響きのサックス陣とブラス陣が応酬する序盤の展開がスリリングだ。さて、筆者はいまだに大阪公演がベストだと信じているが、これはこれで好演~快演で、名バンドが日本で残した唯一のライヴ作として価値は高い。
【収録曲一覧】
1. Once Around
2. Back Bone
3. Mean What You Say
4. Little Pixie
Thad Jones (cor, co-ldr), Mel Lewis (ds, co-ldr), Jon Faddis, Steve Furtado, Jim Bossy, Cecil Bridgewater (tp), Jimmy Knepper, Billy Cambell, Quentin Jackson, Cliff Heather (tb), Jerry Dodgion (as, ss), Eddie Xiques (as), Billy Harper, Ron Bridgewater (ts), Pepper Adams (bs), Roland Hanna (p), George Mraz (b)
Tracks 3, 4: Recorded At Yubin Chokin Hall, Tokyo, March 12, 1974
Tracks 1, 2: Recorded At Toshi Center Hall, Tokyo, March 13, 1974

