よく知られているように、インディラさんはインドのネール首相から、愛娘の名を付けて贈られた。日本の子供たちへの贈り物であった。

 本物の象を見たい!と渇望している少年少女たちにとって“象はとても大きな動物”というイメージへの期待をインディラさんは風格のある巨体で体現してくれていた。当時15歳くらいだったか、品格のある素晴らしい象だった。

 一方ガチャ子(後のはな子、5年後に井の頭自然文化園に移る)は2歳、仔象である無邪気さを存分に発揮して来観者を魅了した。

 はな子が持ち上げた小さな鼻をクネクネすると観る者たちに笑顔が広がり、耳をハタめかせれば小さなドヨメキが湧き、拾った物を取り落とせば溜め息がもれた。はな子の一挙一動が皆のリアクションを誘った。穏やかな反応、平和な出来事が誘発された。

 元来インド象の子供は背中が丸く、伏し目がちな容姿は寂しげでイジラシイ印象を与え、“この子は大事に庇護しなければ”という気持ちを抱かせるのだ。

 この気持ちは観客の間で共有され、暗黙の連帯感を持つことになる。平易な表現をすれば、皆が“優しい気持ち”になっていたのだ。

 はな子は出来事の中心、はな子の存在が“出来事”そのものであった。

 堂々たるインディラさんと愛らしいはな子は、たくまずして絶妙なコンビになっていた。

 2頭が生み出したインパクト(穏やかで静かな)は大きく、子供だけでなく大人たちの胸もポカポカさせてくれる感慨と不思議な力を与えてくれた。出来事を云々する時、“経済効果”という言葉がよく登場するが、彼らが与えてくれたインパクトは、そんなものを凌駕する、次元の違う何かを秘めていたと思う。

 この2頭、いや2人の無言の功労、貢献は戦後の日本で突出したものだったと思っている。

◇   ◇
 訃報から1週間経った日、井の頭自然文化園のはな子の終のすみかに足を向けてみた。象舎を遠くから眺めた。野外運動場の柵の前にたくさんの花が供えられていた。

 その時、耳の奥でいつもの園内アナウンスが聞こえてきた。

“アジア象のはな子は体調管理のため観覧は3時まで……”

 そうだ、はな子は寝室で休んでいるに違いない……。私はそれ以上象舎に近づかないで踵を返し、公園の出口に向かった。

週刊朝日  2016年6月24日号

[AERA最新号はこちら]