1947年にタイで生まれ、2歳半で海を渡ったはな子は、今年5月26日に逝くまで「日本一、愛されたゾウ」(井の頭自然文化園・永井清園長)だった。来日以来、ずっと見守り続けた画家の安久利徳さんが、はな子への思いを綴った。
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太平洋戦争も終わり、たくさんの動物を失い疲弊した上野の動物園に、1949年あたりから堰を切ったように多様な動物たちが外国から到着しだした。
あるものは敗戦で失意の中にあるだろう国民への贈り物として、あるものは海外の動物園との動物物交換だったり、またあるものは遠くアフリカまで買い付けに行って獲得したものだったり、なかには捕鯨船が捕らえた鯨にチョコナンと乗っていた迷子のペンギン鳥を連れ帰って持ち込んで来たりと様々であった。
明るい出来事を渇望していたこの時代、新聞の紙面に動物到来の報道をよく見受けることが出来た。
“珍獣ゾクゾクご入来”とか“上野の森ジャングル……猛獣ぞろぞろご入来”などのタイトルで写真入りの新着動物紹介記事が載った。なにしろテレビ以前の時代、そんな最新ニュースを見つけると決まって次の日曜日は電車に乗り、自宅のある吉祥寺から上野を目指したものだった。
そう、当時10歳の私、動物大好き少年。今なら動物オタクということになる、動物ウンチク豆博士を自負していた。
そんな動物到来の先鞭をつけてくれたのは、米国ソルトレークシティの動物園だった。
ピューマ(アメリカライオン)、若いライオン、コヨーテなど、実物を初めて目の当たりにし、“お噂はかねがね、はじめましてどうも”と心の中で呟いたのを覚えている。動物の到来は奔流のように集中した。
記憶している限り挙げてみると……インド象、虎、豹、黒豹、ニシキ蛇、ヤマアラシ、クモ猿、尾巻猿、アシカ、毒トカゲ、コブ白鳥、褐色ペリカン、犀、キリン、河馬、ヌー、駝鳥、縞馬、チンパンジー……いい加減で止めよう。
しかし、何よりも忘れ難いのは、49年、2頭のインド象が上野に到着した時である。ガチャ子がタイから、インディラさんはインドから各々船旅に耐えてやって来てくれたのだ。