2016年3月11日、東日本大震災から5年を迎えた。室井佑月氏は、今になって原発事故の真実が明らかになる現状に呆れる。
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今年の3月の11日は、2011年の3月11日と同じく金曜日だった。当日は東日本大震災の犠牲者の追悼式があった。
あたしはラジオ番組に出ていたけど、地震発生の時間には目を瞑り黙祷を捧げた。
そして、番組のメーンパーソナリティーの大竹まことさんと、「我々は変わらずに頑張っていこう」というようなことを話し合った。
2011年3月11日、あたしは、変わらぬ明日というものがどんなに大切なものなのかを知った。
それまでなにも考えず穏やかな毎日が送れていたのは、生まれた時、生まれた場所など、幾重にもラッキーな偶然が重なっただけなのかもしれない。変わらぬ明日を送るためには、そのための努力が必要なのかも。個人も国も。
個人の変わらぬ明日を送る努力とは、毎日を精一杯生きることだったりするのだろうか。では、この国の努力とはなんだろう。
なぜ、5年経った今でも、避難者が17万人以上もいるんだろう。
あたしはこの国の努力が、誤魔化しというような、真逆の方向に進んでいる気がしてならない。
こういうニュースこそ、風評被害を増長させる。大事なことは、今現在、どのような検査をし、どのような数値かということじゃないか。
事故による汚染土を保管する場所を、未だに中間貯蔵施設と呼びつづけるのはなぜ? 最終処分場もないくせに。
だいたい、福島第一原発事故には莫大な国費が使われた。
その金を返せるわけもないのだが、電力業界はもう広告を出している。原発は安くてクリーンなエネルギーです、というような。広告を仕切る代理店にも、記事に顔を出す著名人にも、もちろんふんだんな金が支払われている。
そしてなにより、いちばん許せないのが、5年経った今になって、真実がぽろぽろ出てきていること。
国会事故調委員だった田中三彦氏は、「1号機は津波が来る前に、地震による配管断裂などで壊れた可能性が高い」と、当時からいっている。しかし東電側は、炉心溶融(メルトダウン)を判定する基準がマニュアルに明記してあったにもかかわらず、社内の人間は誰ひとりとして気付かなかったとシラを切った。
原発事故の被害の“時効”は10年、それを待ってるとしか思えない。
国もマスコミも、いつか変わってしまうその日まで、面倒なことはしないという姿勢でいいのか?
※週刊朝日 2016年4月8日号