「まさかデヴィッド・ボウイが死んでしまうなんて」。世界中のファンが今、そう感じているだろう。
「地球に落ちて来た男」は病や死を寄せつけない。そんな幻想を抱いてしまう文字通りのカリスマだった。
マドンナは「彼のライブで私の人生は変わった。人と違っていいんだと教えてくれた」と言い、ミック・ジャガーは「常にひらめきを与えてくれる存在であり、本物だった」とたたえた。ポール・マッカートニー、リンゴ・スター、ブライアン・メイ、イギー・ポップ、ブライアン・イーノ……。追悼の意を表した錚々(そうそう)たる顔ぶれが、ボウイの存在の大きさを物語る。
英国の音楽誌「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」が2000年に発表した「20世紀に最も影響力を持ったアーティスト」調査で1位になったように、高い音楽性と表現力は世界が認めるところだろう。
ただ、日本には2種類のファンがいる。ポイントは「いつファンになったか」。全世界で700万枚を売り上げたアルバム「レッツ・ダンス」(83年)の前だったか後だったか、だ。前者は世界中のファンと同様、表現者としてのボウイを崇める。後者は、その美貌と万人受けするポップな洋楽が好きな「チャラチャラしたファン」とされた。
記者は忘れない。90年5月の来日公演で隣り合わせたお姉さん方に「レッツ・ダンスから聴いている」と告白した時の反応を。
「へー、やっぱり。そんな人が増えて、ちょっとね」
正確に言うと、最初は「戦場のメリークリスマス」(83年、大島渚監督)だった。映画館で「世の中にこんな素敵な人がいるのか」と胸を射ぬかれた。共演した三上寛さんも「顔のきれいな人はたくさんいるけどね、あんなに全身のバランスもいい人はいなかったね。完璧だった」と認める美しさ。記者は当時中学1年。恋に落ちた。