野田聖子氏。野田氏の祖父、故卯一氏は1966年の総裁選に出馬し、敗れている (c)朝日新聞社 @@写禁
野田聖子氏。野田氏の祖父、故卯一氏は1966年の総裁選に出馬し、敗れている (c)朝日新聞社 @@写禁
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 総裁選で無投票再選を果たした安倍晋三首相(60)。そのウラには執拗かつ狡猾な“聖子つぶし”があった。その野田聖子衆院議員(55)は、推薦人“あと1人”に涙をのんだ。

 首相陣営はまず、野田氏の推薦人になりそうな議員を独自にリストアップ。若手の衆院議員には「次の選挙で手厚い支援を受けられなくなる」と迫った。その一人は言う。

「選挙に向けての“脅し”に加え、先輩議員、前支部長、県連会長、支援企業と各方面から『野田さんには出馬する大義がない。推薦人になるな』と迫られました。毎日のように言われると、従うしかありませんよ」

 首相と距離のある中堅やベテラン議員には、首相側近が甘い言葉をささやいた。「実は首相は高く評価しています。秋の内閣改造や党役員人事では、重要ポストでの起用も考えています」

 党閣僚経験者は苦笑いして言う。

「大臣の空手形を切られた人は20人ぐらいいるようです。今後、どうするつもりなのでしょうか。党内では『ライオンが子ウサギを全力で潰している』と揶揄(やゆ)されました」

 念には念を。派閥の領袖には安倍首相自ら「造反者」が出ないよう、引き締めを依頼したという。そのかいもあり、思惑どおりの無投票再選が決まった。

 安倍首相の20人の推薦人の中には、野田氏と近い女性議員と元郵政造反組の男性議員が名前を連ねていた。2人を野田陣営に渡さず、自分たちが勝ち取ったことを強調する意図があったと思われる。

 まさに多勢に無勢で敗れた野田氏。ところで最終的に推薦人は何人集めたのか。野田氏は8日の会見で「派閥も持たない中、奇跡的な数字を頂いた」と話すだけだった。官邸陣営は「せいぜい10人」と推察。「10人前後」と報じた全国紙もあった。

 ところが、本誌が複数の野田陣営関係者を取材したところ、推薦人は18人だった。このうち古賀氏が集めたのは5人。野田氏は「総裁選はやるべき」との考えだった尾辻秀久・元参院副議長ら13人を集めた。

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