僕自身も米軍を憎んだことはありません。南方戦線にいたおやじからよくこんな話を聞きました。戦闘機から敵を撃とうとボタンを押す瞬間、「この敵兵にも家族がいるのだろう」といった思いが頭をよぎり、何度もためらったそうです。戦争が終わって、おやじは真っ黒になって炭焼きをしながら家族を養いました。移り住んだ北九州の小倉では、地べたにゴザを敷いて八百屋のおやじになったんです。パイロットの仕事の口もあったようですが、二度と飛行機の操縦桿(かん)を握ることはありませんでした。

 高校まで思春期を過ごした小倉は、占領軍でいっぱい。貧しさと華やかさが混在した街でした。僕らが住む貧しい長屋へ、痩せていた元兵隊さんが革のベルトを差し出しながら食べ物を乞いに来るんです。戦場から戻ると家族はみな死んでいる。そんな状況に絶望し、線路に横たわって自殺する人もいた。真っ二つに裂けた胴体。それでも、青白い足の指は枕木に踏ん張ったまま。他方、日本人の女性を連れて百貨店で両手いっぱいに買い物をする占領軍らの華やかな光景を目の当たりにするんです。敗戦国の屈辱を嫌というほど味わった。

 いいこともありました。占領軍の娯楽のために本屋や映画館がたくさんありました。このときに見た華やかな外国女優の姿は、作品で描く美しい女性の下地になっています。そして切れ長の目を持つ美しいクイーン・エメラルダスや、メーテルは、ときに剣を持って戦う強い女性です。その奥には、終戦の日、上がりかまちに正座して抜き身の日本刀に打ち粉をして磨きながら、「敵が来たらこれで刺し違えて死ぬ。お前も侍の子じゃけん、覚悟せいよ」といった僕のばあさんら、凛(りん)とした日本女性の姿があったのだと思います。

 僕の漫画やアニメは近年フランス始めヨーロッパ、アジアなどの海外でも広まっている。戦後70年の日本人の文化や精神が、作品に昇華されている。さまざまな国の若者が共有してくれるのは、うれしいことです。

週刊朝日 2015年7月17日号

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