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 破天荒で革新的な演奏で知られるジャズピアニストの山下洋輔さんが、作家・林真理子さんと対談。田原総一朗さんとの意外なエピソードが明らかになった。

*  *  *
 
林:私たちの世代は、ジャズといえば山下洋輔さんですけど、あのころは異端者だったんですか。

山下:「和音は無視する。テンポも無視する。やりたいことをやれば、それがジャズだ」と言っていた一派がアメリカにいたんです。この間亡くなったオーネット・コールマンとか……。

林:私も名前だけは知ってます。

山下:セシル・テイラーという、ジャズで初めて肘打ちとか拳固でピアノの鍵盤を叩いた人とか。僕はこういう人たちのことを知りつつも、「これは悪い音楽だ。近寄ってはいかん」と思っていた純粋な青少年だったんです。その後、病気で1年半入院して27歳で復帰したとき、自分の欲しい音が出てこないし、どうしても追いつかない。

林:ええ。

山下:そのうちに、そういえば掟破りの悪い音楽があったな、あれをやってみたら自分が解放されるんじゃないかと思って、バーッとやったんです。それからはそういう音楽ばっかり。1969年のことですから、学生運動をやってる連中に噂が広がって、過激派みたいな人たちが新宿の「ピットイン」(ジャズ喫茶)に聴きに来るようになった。ナメられてはいけないということで、こっちもますます過激になる。それを面白い現象として見たのが田原総一朗さんでした。

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