史上最年長での2千本安打を到達した中日の和田一浩。西武監督時代に入団から彼をみていた東尾修氏は、その人柄と偉業をこう讃える。
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べんちゃん、本当におめでとう。中日の和田一浩が2千安打を11日のロッテ戦(QVCマリン)で達成した。社会人を経ての入団で達成。しかも、入団したときは捕手からのスタートだった。42歳11カ月。史上最年長での到達は野球への情熱と日々の努力の積み重ねだったと思う。
私が西武監督時代の97年に和田は入団した。当時から、強肩強打という触れ込みで、打撃がいいというのはスカウトから聞いていた。正捕手の伊東勤(現ロッテ監督)が晩年を迎えていた。次世代の捕手が必要だった。だから、捕手として大成してほしいと思っていた。
キャッチングもうまいし、スローイングもいい。だが、今考えると、捕手向きの性格ではなかったよな。人懐っこい笑顔が象徴するように、素直で真面目な人間だ。捕手は相手を抑えるための配球だけじゃない。大差がついた中では、次の対戦への伏線も張る。レギュラーシーズンは投手を気持ち良く投げさせることに腐心してもいいが、シーズン終盤の大一番や、短期決戦の日本シリーズなどはまた変わる。さまざまな状況、局面を想定し、メリハリをつけた配球が求められるのだが、和田はどちらかと言ったら、1試合すべての球に対して、全力で抑えるための配球を考えるきらいがあった。
私が監督最終年の2001年の開幕戦で松坂大輔(現ソフトバンク)とバッテリーを組ませたが試合に敗れた。和田は開幕直前に体調を崩した。おそらく悩んで、考えていたのだろうな。その年、私は捕手よりも外野手で先発出場させる機会を増やした。私から伊原春樹監督に代わったときに外野手に本格転向した。19日で43歳か……。本格的に外野手に転向したときは29歳。そこからよく積み重ねてきたと思うよ。
誰にもまねできない内角のさばき。グリップをあれだけ高い位置で構え、外角にバットを長く使える打者だと、誰でも内角を攻めたくなる。だけど、両肘を畳んでクルッと回転して運んでしまう。あの独特のバットの出し方は少年に教えようと思ってもできないよ。昨年8月に右手首に死球を受け骨折。リハビリの過程では両膝痛も出たと聞く。年齢的に引退もちらついただろうが、よく1軍に戻ってきた。その精神力もたたえないといけないよな。
心優しい男だからこそナインの信頼も厚い。現役生活をどこまで続けるかは本人次第だが、引退後に指導者となっても、喜んで協力してくれる仲間は多いはずだ。そしてこれだけの実績を残した今だから言えるのだけど、捕手としての苦い経験は、指導者としての幅につながる。
今、西武は森友哉を捕手で育てるのか、打者として外野手で使うのかなど、岐路にあると思う。私は和田本人の「捕手をやりたい」との意向を尊重して外野手専任にはしなかった。決断のときは周囲の状況や、そのときの球団、監督によっても違う。まだ時間はある。悔いのない決断をしてもらいたいと、べんちゃんを見て、思った。
※週刊朝日 2015年6月26日号
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