朝から薄曇りの空だった6月5日の関東地方。東京都内の葬儀場では町村信孝前衆院議長(享年70)の葬儀が営まれ、安倍晋三首相は弔辞で「私にとって兄のような存在だった。国家の屋台骨を支えてきた偉大な政治家を、また一人失った」と偲んだ。
葬儀には森喜朗、小泉純一郎両元首相ら1800人が参列。町村氏と同じ派閥(清和政策研究会)で、家族ぐるみの付き合いをしてきた玉澤徳一郎元農林水産相(77)は「60歳を超えてからもスポーツジムに通って健康に気をつけていた。だから余計に残念」と悲しげに語った。
町村氏の地盤である衆院北海道5区の補欠選挙は10月にも実施され、次女の夫(43)が立候補する見通しだ。
ところで町村氏といえば、元内務大臣の床次(とこなみ)竹二郎氏や元建設相の河野一郎氏らと並び、“総理にあと一歩届かなかった男”として知られている。
日比谷高校、東大、通商産業省を経て、1983年の衆院選で初当選。政策に明るく、次世代を担う「プリンス」と期待され、文科相や外相で実績を積んだ。
町村氏が総理の座に近づいたのは2007年秋。当時の安倍首相が健康問題から辞意を表明し、後継争いが活発化していたときだ。政治評論家の浅川博忠氏は言う。