1万741票差で住民投票が否決され、橋下徹大阪市長(45)は政界引退を宣言したが、来夏の参院選出馬説や民間大臣登用案などが取りざたされている。橋下氏と共に戦い、敗北後、維新の党代表を辞任した、渦中の江田憲司氏がその真実を語った。
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「以前から、橋下さんから『負けたら政界引退』という決意は聞いていました。そんなことはあり得ないと思いつつも、私も万一のときは代表を辞任しようと覚悟していました。住民投票の1週間前、その思いは松野頼久幹事長だけには伝えていたんです。住民投票の結果は正直言うと、想定外でした。最後の最後、賛成多数で振り切ったなと思いましたね。辻立ちやスポット演説を始めても大勢の人が立ち止まって真剣に聞いてくれましたし、街宣車で手を振ると皆、振り返してくれる。すごく反応が良かった。ただ、期日前投票や当日の出口調査で、いずれにせよ大接戦だと分析していました。その日は夜9時前から、橋下さん、松井一郎大阪府知事、松野さんの4人で、記者会見場のあるホテルの中華レストランの個室で食事をしました。そのときは、橋下さんも松井さんも『やることはやりきった』といった感じで、他人事のようにサバサバしていて、多弁でしたよ。この食事中に『万一のときは私も辞める』と伝えると、橋下さんも松井さんも『江田さんが辞めるなんてあり得ませんよ』と言ってくれましたが私の意志も固かった。橋下さんは会見のため、シャワーを浴びると言い、開票速報の様子は、ホテルの別の部屋で松野さんと一緒に見ていました。賛成優勢が続く中、開票率81%のところで突然、反対多数で否決とNHKのテロップが流れた。そこで『私も辞める』と松野さんにあらためて言うと、『絶対ダメです、江田さんが辞めるなら私も辞める』と。だけど、大阪都構想は、単なる地域政党の地域プロジェクトではありません。国政政党、維新の党はそのためにつくったと言っても過言ではない、それほどの原点中の原点の政策です。その証拠に、この2月の第1回党大会もあえて大阪で開催し、大阪都構想を党の最重要課題と位置付け、その決起大会をした。それが潰(つい)えたのに、橋下さんだけが引退して、私がのうのうと代表を続けるわけにはいきません。責任はトップがとるもの、そのためにトップはあると、松野さんには私に代わって党を率いていくことを強くお願いしました。政治家の出処進退は自分で決めるもの。その後、橋下さんに続いて、私も辞意を表明しました」