代々木八幡宮宮司の平岩昌利さん(右)と小説家、脚本家の弓枝さん夫妻(撮影/写真部・大嶋千尋)
代々木八幡宮宮司の平岩昌利さん(右)と小説家、脚本家の弓枝さん夫妻(撮影/写真部・大嶋千尋)

 鎌倉時代から続く代々木八幡宮の一人娘に生まれた妻・平岩弓枝さんは直木賞受賞を皮切りに、流行作家として活躍。同じく小説家を目指していた夫・平岩昌利さんは妻の父の跡を継ぎ、神職の座に就いた。性格も背景もまったく違う二人が結ばれ、親から子、孫へと時代を紡(つむ)ぐ家族絵巻は、小説以上にドラマチックだ。

*  *  *

妻「母が骨折したのが86歳のとき。手術をして、なんとか杖をついて歩けるようになった」

夫「骨折した後も、朝早くから境内の掃除をしていたよ。神職の妻だからねぇ、実にしっかりしてた」

妻「けれど、それから先は認知症も始まって、99歳で亡くなりました。あんなにきつい性分の人が、晩年はすっかり人のいいボケばあさんになって。介護で大変なころには娘2人が戦力になってくれました」

夫「その娘も次女のほうが大病して。あのときは大変だったな」

妻「劇症型心筋炎っていう、症例の少ない病気になってしまった。まだ子供もよちよち歩きだったのに……お医者さんから十中八九、助からないって聞かされたときは本当に、ものの味がわからなくなるほどショックでした。そういう文章表現はあるけれど、本当にああなるんだなって」

夫「まさに奇跡の回復でした。2週間も人工心肺をつけて命を永らえさせて、その後、血栓ができたのも奇跡的に解消された。本当に神様のおかげだと思った」

妻「代われるものなら私の何もかも差しあげますから、娘を助けてください、って神様にお祈りした。神社に生まれ育ってきて、そんなふうに祈ったのは初めてでした。この人も同じ思いだったと思いますよ」

夫「その次女も今はすっかり元気になって、数年後、次の子供を出産できたぐらい。今は神社の切り盛りをしてくれてます。最近はね、なんだかまた、神社が人気なんですよ。『パワースポット』だとか言ってね。テレビで誰かが、就職活動に御利益があった、って言ったらしいんだな」

妻「神社も時代とともにありようが変わりますからね。戦前、私が子供の時分には『丑(うし)の刻参り』があったのよ! 父が発見して夜通し話を聞いてあげて、翌朝、付き添って送って行ったのを覚えてるわ」

夫「戦後の一時期は不遇だった。吹くはずだった神風は吹かず、日本は戦争に負けた。お参りする人も減ってね。さすがに僕の代になってからは、丑の刻参りはないけれど(笑)。今はこんな時代だからこそ、宗教の役割が大きくなってきているのは感じますね」

妻「子供は2人とも娘だけれど、孫4人は全員男。娘婿も神職の資格を取ってくれたし、いずれ孫の誰かが継いでくれるでしょう。とにかくそれまではお父さんがんばって、っていうのが家族一同の願いなの」

夫「まぁ、体の続く限りがんばるしかないなぁ」

妻「この人は本当にのんびりなんだから。家じゃ縦のものを横にもしないのよ。食事のときに『お箸ぐらい運んでちょうだい!』って言ったら、本当にお箸だけ運ぶ人ですからね」

夫「いや、やる気はあるんだってとこ、見せとかないと……」

妻「私も、世の中から求められる限りは書き続けなきゃと思ってる。常に何かを学び続けて、人物たちが動きだすのを小説に写し取っていく。若いころのようにすんなりとはいかないけれど、作品そのものが年老いてしまわない限りはね」

夫「まぁ、何もかもが違う二人だから、僕は彼女から学ぶことも多かったし、彼女もそうだったと思う。だから結婚してよかったんじゃないかな。孫たちのためにも、できるだけ長生きしてやらないとね」

(聞き手・浅野裕見子)

週刊朝日 2015年4月3日号より抜粋