京都大学法学部卒の平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)さんは、在学中に「日蝕」で芥川賞を受賞した。自由で楽しかったという大学時代をこう振り返る。
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大学時代、僕は目覚まし時計をほとんど使わなかったんですよ。起きたくなったら起きる生活でした。バーテンのバイトがあるときは夕方6時くらいに出勤していたんですが、ある日、5時半ごろ目が覚めて「遅刻だ!」と、自転車に飛び乗ったら何かが違う。よく見たら、朝の5時半でした(笑)。そんなことが2回くらいあった。大学はあまり行きませんでしたね。法学部に入ったのは、潰しがきくと思ったからです。高校時代から文学が好きだったんですが、まさか小説家になれるなんて思ってもいなくて。夢を抱きながら文学の研究者になるのはつらすぎるので、文学に関係のない学部を選びました。入学前は社会でバリバリ働いてまっとうな人間になろうと思っていたので、京都に引っ越したとき、本は一冊も持ってきませんでした。でも、いざ入学すると、生協に本が売っているんですね。教科書を買いに行くと目に入ってしまう。それでまた本を読むようになりました。図書館にもよく行っていました。
就職活動はしていなかったので、大学4年のころにいよいよ切羽詰まって、年末に原稿を新潮社に送りました。箸にも棒にもひっかからなかったら就職しようと思って。それが、99年に芥川賞をもらった「日蝕」でした。
大学時代は自由で楽しかったけれど、将来のことを考えると暗い気持ちになっていましたね。大学に入った翌年には阪神・淡路大震災とオウム事件があって、97年には酒鬼薔薇聖斗の事件が起きました。同じ年に山一証券が破綻してバブルの二番底が来た。就職氷河期世代でしたから、個性は大事だという教育を受けてきたのに、就職を通して自己実現することができない。自分の価値は何か、と問い続けなくてはいけない世代だった気がします。
「大学時代に戻れ」と言われたら嫌ですね。でも、僕が住んでいたマンションってまだあって、たまに借りたいなと思ったりはします(笑)。学生のころ使った棚やベッドとかを置いて、目覚まし時計なしで生活したら、どうなるんだろう、と。
今が忙しすぎるからかもしれません。大学時代の暇な時間があったからこそ、その後耐えられている気がします。暇な時間って大事です。孤独にものを考える時間がないと思考が深められません。
学生は意識的に携帯を切る時間を作ったほうがいいと思いますよ。細切れの時間を生きていると、深いことを考えられません。情報を取り入れることができても、思想や文学は、身体的に共感しながら受け止めていかないと、理解できない。大学時代の孤独な時間は、何にも代え難いものです。
※週刊朝日 2015年3月20日号