インドが舞台のミュージカル「ボンベイドリームス」にチャレンジする女優のすみれ。日本で芸能界デビューして3年以上経つが、当時の苦労を明かした。

“楽しさ”を伝えることが、根っから好きだという。幼い頃からさまざまなダンスを習い、中学生になると歌や演劇のレッスンも受けるようになった。高校のときは、高齢者向けの施設などを訪問し、芝居や歌、ダンスを披露したこともある。バラエティー番組などでの活躍も目立つが、「ここに立つのが私の運命だったのかもしれない」と感じることができるのは舞台なのだそうだ。

「人前に出るのが好きなわけじゃないんです。両親が離婚したとき、パパラッチに追いかけられたのがトラウマになっているのか、見知らぬ人からの視線を極度に怖がっていた時期もあって……。でも、歌やダンスやお芝居でなら、何かしらの意味や感情を伝えられるじゃないですか。メッセージっていうほど大げさじゃなくても、ただ『キレイ』って思ってもらえるだけでもいい。私たちが発信したものを見たことで、その人の一日が明るくなったりとか。表現を通して、誰かとつながったりできることが、幸せなんです」

 母である松原千明さんが、石田純一さんとの別居を決意し、ハワイに移住したとき、すみれさんは7歳。正式に離婚したのはそれから2年後のことだった。ハワイに行ったばかりの頃は英語がしゃべれず苦労したが、いつしか日本語より英語のほうが得意になっていた。それが、日本で芸能活動を開始したことにより、また言葉の壁にぶち当たる。

「ハワイに住んでいるときも、日本には年に2回のペースで帰ってきていました。ハワイには、豊かな自然はあるけれど、キラキラしたシティーライフはなかったので、そこに憧れてもいたし(笑)。母が京都出身なこともあって、歴史にも興味がありました。ハワイで時代劇のドラマを字幕で見たり、日本に帰るたびに、J‐POPのCDを大量に買い込んだりして、やっぱり日本の文化が好きだったんだと思います。日本でお仕事をするようになって、一番苦労したのは日本語でした。日本に来て3年で、ようやくある程度までしゃべれるようになりましたけど、そうしたら今度は、思うように英語が出てこなかったり……(苦笑)。それは、帰国子女とかインターナショナルな経歴を持つ人なら誰でも経験することだと思います。日本語と英語、両方をキープするのは難しいけれど、それが私のアイデンティティーにつながっている部分もあるので、ほどよいミックス感を探っていけたら」

週刊朝日  2015年1月16日号より抜粋