有吉玉青ありよし・たまお 1963年、東京都生まれ。早稲田大学哲学科、東京大学美学藝術学科卒業。90年、『身がわり 母・有吉佐和子との日日』により坪田譲治文学賞受賞。その後渡米し、ニューヨーク大学大学院演劇学科修了。著書に『黄色いリボン』『ねむい幸福』『ニューヨーク空間』『月とシャンパン』『雛を包む』『恋するフェルメール』『美しき一日の終わり』『南下せよと彼女は言う』『ソボちゃん いちばん好きな人のこと』など。大阪芸術大学教授も務める。(撮影/写真部・工藤隆太郎)
有吉玉青
ありよし・たまお 1963年、東京都生まれ。早稲田大学哲学科、東京大学美学藝術学科卒業。90年、『身がわり 母・有吉佐和子との日日』により坪田譲治文学賞受賞。その後渡米し、ニューヨーク大学大学院演劇学科修了。著書に『黄色いリボン』『ねむい幸福』『ニューヨーク空間』『月とシャンパン』『雛を包む』『恋するフェルメール』『美しき一日の終わり』『南下せよと彼女は言う』『ソボちゃん いちばん好きな人のこと』など。大阪芸術大学教授も務める。(撮影/写真部・工藤隆太郎)
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有吉玉青さん(左)と林真理子さん(撮影/写真部・工藤隆太郎)
有吉玉青さん(左)と林真理子さん(撮影/写真部・工藤隆太郎)

 今年は有吉佐和子さんの没後30年。自身も作家として活躍する長女、玉青さんは突然の母の死を「なにがなんだかわからなかった」と、作家・林真理子さんとの対談で語った。

*  *  *
林:有吉先生が亡くなられたとき、玉青さんはイギリスにいたんですよね。

有吉:語学留学をしていました。連絡を受けて慌てて帰ってきて、空港で記者の人たちに囲まれてTシャツ姿で記者会見をして……。なにがなんだかわからなかったです。

林:大ベストセラー作家の突然の死ということもあったけど、亡くなる2カ月くらい前にお出になった「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」が非常に印象的だったこともあって、異様ともいえる報道のされ方でしたよね。でも、あれはプロデューサーに言われた演出を、まじめになさっただけなんですよね。

有吉:そうなんです。「番組を乗っ取った」なんて言われましたが、頼まれてしたことでした。でも、母はしょせん素人ですからうまくできなくて……。橋本治さんにつないだんですが、途中で「(橋本さんが)待ってるといけないから、早く電話しなくちゃ」とか言ってしまって。あのころは、突然かかってくるのを装っているコーナーだったのに、わかってなかったんですね。しかもその後、「(明石家)さんまさんと大ゲンカした」とか、実際にはなかったことがネット上に広まってしまって。昨年10月に番組終了が発表されてから注目が高まったようで、雑誌や本でもネット上の妄想がそのまま書かれていたんです。

林:その記事は読みましたよ。玉青さんが厳重に抗議したって。

有吉:はい。それで出版元すべてに訂正記事を出していただきました。母は頼まれてやっただけなのに、そんなふうに言われてしまうことが、本当に残念だし悔しいんです。

林:ご葬儀が終わった後も、契約のこととか後処理とか、20歳の玉青さんが全部やらなきゃいけなかったんですよね。おばあさまと一緒とはいえ、ものすごい負担だったでしょう。

有吉:すごく不安でした。でも祖母から、「運命だと思ってやりなさい」と言われて、“運命”という言葉が胸にストンと落ちたんです。祖母は的を射たことをスパッと言う人で、祖母のおかげでやれたんだと思っています。

週刊朝日  2014年8月8日号より抜粋