エジプト考古学者の吉村作治氏は、東大入学を夢見て、3年間の浪人生活を送ったという。
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小4のとき、図書室でイギリスの考古学者であるハワード・カーターの『ツタンカーメン王のひみつ』を読んで、「エジプト考古学者になりたい」と思いました。担任の先生に話すと、
「大学で学問をやるなら東大か京大しかない。東大に行くには合格者をたくさん出している高校、その高校に行くなら合格者をたくさん出している中学へ行きなさい」
とアドバイスされました。区立の小学校に通っていたんですが、それから一生懸命勉強して、東京学芸大学附属大泉中、東京学芸大学附属高校に進みました。
高校では、将来エジプトで発掘をするために、体力、語学力、そしてヒッチハイクをする演技力が必要だと思い、山岳部で体を鍛え、演劇部で演技力を身につけ、中国語とアラビア語を勉強しました。本当はそんな勉強をする時間があれば受験勉強をしたほうがよかったのですが、進学校に入れたので、つい油断してしまったんですね。
東大受験に失敗して駿台予備校に入ったら、「駿台に入学したから大丈夫」と楽観的に考えました。それでも3年浪人したとき、母親に「中学も高校も3年。予備校も3年間通ったのだから、もう浪人はやめなさい。4回も落とした東大の先生の言うことを聞けるの?」と言われ、早稲田大学に行くことに決めました。
駿台で3年間同じことを勉強したので、年々成績が伸びました。現役のときは不合格者のランクBでしたが、浪人してからは毎年A。あと少しだから、また東大にチャレンジしたいという思いもありましたが、母親の言葉で、東大受験をやめる踏ん切りがつきました。
結果的に、早稲田大学に進学したことがよかったのです。あとでわかったのですが、当時、東大で考古学の研究をしていた先生の専門地域は中南米とギリシャだけ。もしも東大に行っていたら、どちらかの考古学を研究することになり、子どものころからの夢であるエジプト考古学者にはなれなかったでしょう。
早稲田にもエジプト考古学を研究している先生はいなかった。でも学生主任の先生は、「エジプト考古学を諦められないなら、先生に専門を変えてもらうしかないね」と言ってくれました。早稲田はそんな自由な校風の大学です。総長にも「やれるものならやってごらん」と言っていただいたので、当時、メソポタミアのシュメールの研究をしていた川村喜一講師に、「エジプトの研究をしましょう」とお願いしました。
大学3年のときに川村先生と学生5人で念願のエジプトに初めて行くことができました。日本にそれまでなかったエジプト考古学をつくったのは僕だから、東大には、「落としてくれてありがとう」と言いたいですね。
※週刊朝日 2014年8月8日号