高齢化が進む今、中高年に「介護」は身近で切実な問題になっている。ただし、その担い手が“孫”にまで広がっているとしたら、あなたはどう思うだろうか――。人生の節目で介護と向き合った男性の事例を通して、実態に迫る。

 40歳のある日、遠距離介護を始めたのは都内在住のシンジさん(仮名、41歳)だ。新幹線で片道2時間ほど離れた地方に暮らす認知症の祖母(当時89歳)が子宮頸がんの出血で倒れ、病院に運ばれた。同時に、その祖母と同居していた母(当時68歳)の認知症が発覚したのだ。父親は20年以上前に家を出て別居、妹は子育て中。既婚だが子どもがいないシンジさんが「消去法で自分がやるしかない」と判断した。

 その年に転職し、企業の商品開発チームでリーダーを任されていたが、介護休業制度は入社1年以上経たないと使えないと知って断念。辞表を提出した。

「介護疲れで心も体もボロボロになり、仕事に影響が出るのが嫌でした。祖母が余命半年と宣告され、その間は介護に専念したいとも思いました」

 心配なのは“お金”だ。自分たちの生活は貯金や節約などで何とかなりそうだったが、入院中の祖母にかかる費用や新幹線代を含む交通費まで出すのは難しい。

 ふと祖母が「葬式代くらいは取ってある。何かあったらそこから使いなさい」と言っていたことを思い出した。ところが、その通帳を認知症の母が捨ててしまい、印鑑も見つからない。途方に暮れるなか、判断能力が不十分な人の財産管理などを肩代わりする「成年後見制度」を知った。3カ月以上かけて成年後見人に選任され、2人を介護する費用を祖母の財産でまかなう道筋をつけた。

 祖母は倒れて1年後、90歳で逝った。シンジさんは会社員時代から続ける副業で収入を得ながら、一人で暮らす認知症の母のもとに月の半分は滞在し、その様子や認知症の情報などをブログにつづっている。

「同じ立場の人たちの役に立てれば。書くことが介護疲れのストレス解消にもなるし、自分を振り返る記録にもなっています」

週刊朝日  2014年7月4日号より抜粋