殺人事件で争点となる「殺意の有無」。この判断の難しさがよくわかるエピソードを、著書に『裁判長! 死刑に決めてもいいすか』などがある北尾トロ氏が明かした。
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傍聴していると、判断に迷う局面が出てくる。被告の主張は信じるに足るのか、それとも検察の証拠が正しいのか。
代表的なのが自白調書の信用性だ。調書に被告がサインしているのだから証拠能力は十分、というのが検察の言い分。一方、自白は連日の長時間にわたる取り調べに音を上げて認めたもので、本当はやっていないというのが被告の主張。
これ、どうなると思いますか。ほぼ100%、検察の言い分が通るのだ。昔から裁判所は調書を重く見るのが常。やってないなら、なぜサインしたの?というわけである。じゃあ冤罪事件はどうして起きるんだ、なんてことは考えない。
ここから先は水掛け論に終始。密室で行われた取り調べの真相についてやり合ってもなぁ。不毛な状況を打破すべく取り調べの可視化(録音・録画)を進めるべきとの声が上がっているが、警察および検察は取り調べをしにくくなるからと消極的で、遅々として進んでいないのが現状。
いきなり話がズレたが、今回取りあげたいのは“殺意の有無”についてである。これもまた、法廷で争点になりやすい項目。被告がやったことを認めた上で殺意だけは否認するケースを、殺人事件などでしょっちゅう目にする。客観的事実から被害者を躊躇なく殺害したとしか思えない事件でも、いちおう言っとくか風の軽いノリで「殺意はなかった」と弁明するのだ。たとえばこんな感じだ。
「カッとして、気がついたら何度も刺していました(鳴咽)。頭部、顔、首、心臓……。でも、私としては脅して金品が盗れればと。殺すつもりはありませんでした」
「殺してやろうと思って被害者に会いにいったことは事実ですが、あとはよく覚えておらず、我に返ると足元に死体が……。殺意はありませんでした」
いや、だから殺してやると思うのが殺意なんだよ。で、実際やってるんだから一点の曇りもなく殺意はあるのだ。
もちろんこうした主張が認められることはない。弁護人だってそれは重々承知のはずだ。でもダメ元であれ言ってみるのはなぜか。殺意ありとなしでは量刑に大きな差があるからだ。前出のように誰かをナイフで刺して死亡させた場合、殺意があれば殺人罪だが、ないと認められれば傷害致死罪となる。刑法によれば、殺人罪の量刑は死刑または無期もしくは5年以上の懲役、傷害致死は3年以上の有期懲役となっているからその差は大きい。本当に殺意がなかったにもかかわらずそれが認められないと、最悪、死刑にされてしまう。だから中には必死で殺意なしを訴え、迎え撃つ検察と激しいやり取りが繰り広げられることがある。
ただ、この判断がまた悩ましい。ぼくが忘れられないのは、夫婦喧嘩の果てに夫が持ち出した包丁を妻が手にし、「刺すなら刺せ」と挑発する夫めがけ、馬乗りの体勢で右手を振り下ろしたところ心臓を直撃、死亡させた事件だ。ここだけを取り出せば「殺意ありだな」と思うが、よくよく聞くとこの夫婦、特殊なSM関係(?)にあったことがわかってきた。
基本パターンは酒乱でDVの気もある夫が妻に暴行を加え、ある程度それに耐えてから攻守逆転。最後は寝室で暴力行為を謝りつつSEXに至る、わけのわからないものだ。この日も夫がベッドサイドに包丁を置いて“準備”をしてから妻を寝室へ呼んだそうだ。
被告には手に職があり自立できる。郷里に頼りになる兄がいて、相談に乗ってくれる友人もいた。その気になれば逃げ出すことも可能だったが、それはしていない。幸福ではなかったというものの、相思相愛で結びついた相手との離婚は考えていなかったという。
つまり、この日はプレーがエスカレートしすぎ、収拾がつかなくなってしまったようにも思えるのだ。夫から刺せと挑発され、その通りにしなければ包丁を奪われて逆に刺されるとパニックに陥ったらしい。罪を逃れる気持ちからではない。判決には従う。
夫婦間のルールは当事者にしかわからない。一風変わった愛情表現であっても、2人が納得していれば問題ないと考えることもできる。常識の範囲で考えても、被害者である夫には酒乱やDVという悪癖があった。被告は命の危険を感じることもあったという。となるとこの事件、危うい橋を渡り続けることでしか愛情確認ができない結婚生活が招いた悲劇なのか。
想像はいくらでもできるが、裁くのはムズカしい。もし裁判員だったらどう判断するか、ぼくは迷いに迷った。常識的な線で、情状酌量の余地はあるけれど、胸を突き刺した以上は殺意ありとするのか。少数派の側に立ち、行き過ぎたSMプレーだとして殺意まではなかったとするのか。
検察の求刑は、前科がないことや突発的な事件であることを考慮しても、かなり重い15年。裁判長の考えは明快だった。裁判所では迷い出したらキリがない“殺意”という難物を、刺した場所(心臓)、傷の深さ(15.5センチ)でスパッと判断したのだ。愛だの恋だの情緒的なところは情状面で考慮すればいい。被告は反省もしているし同情すべき点も多い。だがその瞬間、殺(や)ってやると思わなければ躊躇が生まれ、思い切り強く刺せるはずがない。なるほど、考え方が合理的である。
懲役10年の判決を受けたとき、被告はうっすらと笑みを浮かべた。求刑から5年の減刑は、被害者にも非があったことを数字で示すものだったからだろう。
※週刊朝日 2014年4月11日号