ご本人も歴史に名を残す偉人になりたい? (c)朝日新聞社 @@写禁
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 政治家には歴史好きが多い。偉人の生きざまに照らして、自らの歩む道を選び取っていくのだろう。

 生活の党の小沢一郎代表(71)もその一人。3月5日、側近の松崎哲久前衆院議員(63)の著書『リーダーのための歴史に学ぶ決断の技術』(朝日新書)の出版記念講演で、尊敬する3人のリーダーの名前を挙げ、長広舌をふるった。

「比叡山の焼き討ちは極悪非道な織田信長像を伝えているが、革命にはこういうことがつきもの。信長は大胆な発想と行動で中世を打破し、次につないだ」

 1人目は戦国武将の織田信長。天下統一のため、自前の領地と既得権益を持つ比叡山や一向宗といった巨大宗教組織にひるむことなく戦った点や、当時は画期的だった楽市楽座を取り入れたことを評価し、「近世日本の創造者」と称した。

 2人目は幕末の志士、大久保利通だ。当時の日本の置かれていた状況を冷静に捉え、同志でもあった西郷隆盛らの反乱に私情を挟むことなく断固鎮圧したと指摘。「大久保がいなければ、明治の憲法は確立しなかった」と語った。

 最後は、爵位を持たない平民として初めて総理大臣になった原敬だ。小沢氏と同じ岩手県出身。立憲政友会の3代目総裁となり、その4年後の1918年に原内閣を発足。官僚や軍人ではない政党政治の確立に貢献したと、小沢氏は評価する。

 3人には共通点がある。万人に好かれるタイプではなく、暗殺されたことだ。

 織田信長は「本能寺の変」で明智光秀に、大久保利通は1878年に旧加賀藩士の島田一良ら6人の刺客に襲われた。原敬も1921年、青年の凶刃により東京駅で非業の死を遂げた。

 小沢氏は「革命的な改革をやろうとすれば、当然既得権を持っている人から反発が起きる。それを恐れていては、革命や改革なんかできない。(やり遂げようとして)死んでも、本望ではないか」と話した。

 自身については「私も検察に危うく暗殺されそうになったが、一命をとりとめた」と笑いを誘った上で、「残された政治生命は短いが、日本に議会制民主主義を定着させるには、もう一回政権交代が必要。私が表に出ると総攻撃を受けるので、静かに皆さんの後押しをしたい」と抱負を語った。

 安倍自民党の“一強”で、存在感を示すこともできない野党。かの剛腕の力で、再編となるのか。

週刊朝日  2014年3月21日号