徳川宗家第18代当主の徳川恒孝(つねなり)氏が徳川家にまつわる秘話を明かした。
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天下を治めた家康公以来続く徳川家ですが、これといった家訓はありません。ただ、家康公が残した“教訓”は幾つかあります。
今風に言うと、家来を上っ面で判断し、リストラをしてはならぬ、というもの。
得てして平和な城内では口の上手な家来を評価しがちです。しかし、城内で口下手で気の利かない家来が、いざ戦場に出れば勇猛果敢に大将を守り国を守ることもある。人の本性を見抜くことが将の役目なのです。
家康公をはじめとして、260年ほどの江戸時代で征夷大将軍は15代です。それに対して、明治維新後の約150年では、当主は私を入れて3人しかいません。
まず、慶喜様が退かれた後、幼くして16代になった家達(いえさと)。10代でロンドンに5年間留学しますが、そういったアレンジを全部されたのが13代家定公の正室で、NHK大河ドラマの主役にもなられた篤姫様です。
家達の面倒をずっと見ておられました。
家達は貴族院議長を30年務め、1940年に予定されていた東京オリンピックの組織委員会の会長でした。今で言うと森喜朗さんの役目ですね。でも、日中戦争が始まってしまい、結局、開催を返上しました。家達は40年に76歳で亡くなっています。
後を継いだのは家正で、私の祖父です。外交官で、駐カナダ公使などを歴任して、貴族院議長になりました。戦後の新憲法の審議もしています。貴族院を閉めた最後の貴族院議長でした。
明治時代の徳川家の屋敷は千駄ヶ谷にありました。千駄ヶ谷駅の外苑プールがあったところから代々木駅のあたりまでが敷地でした。全体で6万坪ほどあったそうです。茶畑や馬場もありましたが、徳川家が入ったころは、まだ東京の郊外。千駄ヶ谷村です。
この家には、明治20年に明治天皇が行幸されています。そのときに流鏑馬(やぶさめ)をご覧に入れたのですが、演武をしたのは静岡に移住した旧幕臣の方々でした。
明治維新後、新政府に仕えることも農民や商人になることも選ばず、徳川家に従って静岡に移住した旧幕臣の人たちが大勢いました。とはいえ、徳川家の新領地である静岡藩で雇うことができた人はごく一部です。職を失った幕臣たちが手がけたのが茶畑の開墾でした。静岡を日本一のお茶の産地にしたのは旧幕臣たちなのです。
※週刊朝日 2014年3月14日号