東日本大震災から、もうすぐ3年。その後に大切な人を失うなど、被災者を新たな悲しみが襲う。2011年以降、岩手・宮城・福島の被災3県の沿岸部の自治体だけで千人以上が自殺している。フリーライターの山川徹氏がその現場を訪れた。
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今年1月、三陸沿岸のある港町を訪ねた。「津波で両親を失った10代の少年が、海に飛び込んで自ら命を絶った」と知人に聞いたからだ。
少年が親戚宅から姿を消したのは1年ほど前。その1カ月後に遺体で見つかった。地域には様々な噂話が飛び交っていた。<あの岸壁から飛び込んだ><両親の遺品を持って身を投げた><持病を苦にしていたので公表されなかった>……。
少年は生前、ある新聞に震災孤児として取り上げられていた。記事によると震災直後、両親が行方不明だと知り、「俺も死ねば良かった」と叫んでいる。その後、「疲れる」と繰り返していたとも書かれていた。
少年の両親と仕事上で長年付き合いがあった女性を探し当てると、涙ながらにこう語った。
「あの子が行方不明になったと聞いて、すぐに自殺だと想像しました。日ごろから『死にたい』『つらい』と口にしていたと、人づてに聞いていたので。両親のもとに行きたかったのでしょう。家族をいっぺんに失って、つらくないはずがありません。震災からの日々を一所懸命に生きたのだと思います」
少年を幼いころから知る別の人物は、亡き母子は強い絆で結ばれていた、と明かした。
「息子さんには持病があり、それをお母さんは心配していた。だから彼は中学時代は運動部に入って身体を鍛えていたんです。震災後に引き取った親戚の方は、かかりつけ医に 『薬を服用していれば大丈夫』と言ってもらえたと安心していた。それが死の数カ月前だったのに」
この人物は、少年が自殺したとの見方を否定した。
「目撃者はおらず、遺書はなかったそうです。警察も教えてくれない。私は事故死だった可能性もあると思っています」
震災を引き金とする自殺か、それとも事故死か。県警に問い合わせても答えが得られなかったが、最後にたどりついた捜査関係者は、自殺の可能性をほのめかした。
「過って海に転落したとも考えられますが、自宅に携帯が残されていました」
この世代が携帯を持たずに外出するとは思えず、何かしらの“覚悟”をしていたというのだ。だが、それ以上、少年の死はたどれなかった。
※週刊朝日 2014年3月14日号