心理学者の小倉千加子氏は、母親は職に就かなくても家族が生きるための仕事があると「あまちゃん」後に始まったNHKドラマ「ごちそうさん」を例にこう語る。
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「あまちゃん」の後の連続テレビ小説「ごちそうさん」は、「あまちゃん」とは違った意味で今までとは異質なドラマである。
そもそもヒロインの卯野め以子を演じる杏が自分の出演するドラマについて非常によく勉強している。ドラマの主役としては普通のことだが、連続テレビ小説では異例のことである。ヒロインの女優さんはドラマについて何も知らず何の解釈もないのが通常だった。杏という人が珍しいのか、今回のドラマが変わっているのか、恐らく両方だろう。
朝からオムレツをアップで見せられるとその濃厚さに辟易して、「朝はもっと淡白な和食にしてほしい」と叫びたくなるが、「梅ちゃん先生」で食卓に並べられる料理が毎回あまりにもまずそうで、「もっとおいしそうな食事にしてほしい」と呟いていたのを思うと、贅沢な注文かとも思う(あれは特筆すべきまずさだった)。「ごちそうさん」のテーマは「食べることは生きること」であるらしい。が、「食」を司る専業主婦の人生がテーマなので、本来なら「生きることは食べること」としたかったのではないかと思う。
人間の生活の基礎は家で食べる三度の食事であり、それを作るのが専業主婦であるというのは日本では大正時代に発明された制度である。め以子がくどいほど「食いしんぼう」であることが描かれるのも、専業主婦が他から強制されて食事を作っているとなると、専業主婦制度の根幹が崩れるからである。
専業主婦の仕事は「家族が生きるための仕事」であり、それは誰かがやらなければならない忍耐力の要る仕事である。家族機能の崩壊は一言で言えば食卓の崩壊(孤食と外食の進行)に外ならない。誰かが共食の食卓を準備し続けることで家族の機能は維持される。
ホームレスの人はなぜホームレスになったかという聴きとり調査をした学生の論文を読んだことがあるが、ホームレスになるきっかけは、家族の要である母親がいなくなることだった。
母親がいなくなると夕食が家庭からなくなる。すると特に男の子は家に帰らなくなる。外をふらつき回るようになることで、進学や就職のレールから外れていく。ホームとは食事のことなのである。
犬にもホームレスドッグという表現があって、野良犬のことである。誰かが必ず食餌を与えてくれるという安心感がないと犬もやさぐれるのである。
調査では、母親がいなくなるというのは、母という実体が病気や事故でこの世からいなくなることを指している。しかし、母親不在や家族の機能不全は母という実体があっても起こり得ることである。
母には「家族が生きるための仕事」よりも「自分が生きるための仕事」が優先されることがある。家族を女手一つで養う仕事なら仕方がないが、「自己実現のための仕事」のために家族の食事を作らないことには子どもから激しい抵抗がある。子どもにとって一番安心できるのは、母親に「自己実現の欲求」のないことなのである。
め以子には「何かになりたい」という想いがない。しかも、おいしいものを作らないではいられない性分である。専業主婦になるために生まれてきたような人である。
「何かをなし遂げなくてはいけない」「自己実現しなくてはならない」というのは一種の脅迫であると感じる女性が増加している。
職業がなくてもいいのではないか。成功よりも居心地のよさを追求する方がいいのではないか。め以子とベニシアさんは、まあ、そう言っているわけである。
※週刊朝日 2013年11月1日号