間もなく終戦記念日が訪れる。しかし、ジャーナリストの田原総一朗さんは、終戦から60年以上が経った今でも日本の“戦後”は続いているという。

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 前回は、公開中の映画「終戦のエンペラー」をプロデュースした奈良橋陽子さんと対談した。昭和天皇の戦争責任という、これまで日本人がタブー視して試みなかったテーマに挑戦した、すごい映画だ。そして、その対談で、結果として私は重い課題を背負わされることになった。

 マッカーサー連合国軍最高司令官は、結局、昭和天皇を極東軍事裁判にかけず、天皇制の維持を決断した。終戦直後、アメリカで行われた世論調査では、天皇を「死刑にする」が33%、「裁判で決定」が17%、「終身刑」が11%などと、ともかく裁判にかけるべしが70%を占めていたにもかかわらずである。

 マッカーサーは部下のボナー・フェラーズ准将に昭和天皇を裁判にかけるべきか調査せよと命じた。映画では東條英機、近衛文麿など日本側のキーパーソンを調べたフェラーズが「天皇を裁判にかけず、天皇制を維持すべきだ」とする報告書を出し、それを読んだマッカーサーが1945年9月27日、自ら決断するためにアメリカ大使公邸で昭和天皇と会見。このとき「全責任を負う」と明言した天皇の態度がマッカーサーを感動させて、天皇制維持を決断させたことになっている。

 だが、実は史実ではフェラーズがマッカーサーあての報告書を出したのは、マッカーサー・天皇会見の5日後、10月2日なのである。

 このあたりの事情を東野真氏が著書『昭和天皇 二つの「独白録」』に記している。フェラーズは「もしも天皇が戦争犯罪のかどにより裁判に付されるならば、統治機構は崩壊し、全国的反乱が避けられない」と強調した。つまり、占領政策をスムーズに行うには、天皇制を維持すべきだと語っていたのである。

 さらに東野氏は、翌46年3月6日、東京裁判開廷の2カ月前に、フェラーズが敗戦当時の海軍大臣・米内光政と会談した内容を載せている。

 フェラーズは、天皇に戦争責任がないことにする方法は、日本側がそれを立証すること、つまり東條英機が裁判で全責任を引き受けてくれることだと言い、米内はそれに全面的に賛同。「東條と嶋田(繁太郎・元海軍大臣)全責任をとらすことが陛下を無罪にする為の最善の方法と思ひます」と答えている。そして、占領軍はこのとおりにした。つまり、これはあくまでも、日本における占領政策をやりやすくするための方策だったのである。

 ところが日本政府は、これで戦争の処理が終わったつもりになってしまった。本来ならば日本が独立した後、日本政府として、日本人の手で戦争の総括を行うべきであった。少なくとも太平洋戦争では、日本は無残な敗北を喫した。しかも、この戦争はほとんど勝ち目のない戦いだったとしか思えないのだ。

 私は、かつて首相を務めた宮沢喜一氏に、「なぜ日本政府は独立後に総括をしなかったのか」と問うた。

「当時、政権与党の幹部たちの多くは、いわゆる追放組だった。追放組というのは、いわばA級戦犯の子分たちです。子分が親分たちの総括をするのは、どだい無理な話ですよ」

 宮沢氏の言うことはそれなりにわかる。しかし、日本政府が、もっと言えば私たち日本人が、アメリカの占領政策のための処理という形だけで、戦争の総括をしないままにすませてしまっているのは、どう考えても大問題である。その意味では“戦後”はまだ続いているのだ。

週刊朝日 2013年8月16・23日号

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田原総一朗

田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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