人が穏やかな死を迎えるためには、事前に死のイメージや、心構えをもつことが大切だと帯津三敬病院名誉院長・帯津良一医師(76)は話す。実際にこの病院で死を迎えた加山文雄さん(67)と、その妻・由香さん(58)の場合も、事前に心構えや準備をしていたが、最後を迎えるそのとき、思わぬ出来事が起きた。
文雄さんは2年8カ月前に胸腺がんとわかり、今年1月に決定的な宣告を受けた。入院と自宅療養を繰り返し「もう放射線も限界」と九州の病院で言われたのだ。
翌月に帯津三敬病院を受診すると、すぐに文雄さんはリビング・ウイル(尊厳死の宣言書)のコピーを提示した。10年以上前、がんにかかる前から日本尊厳死協会に入会し、いたずらな延命はしないと決めていたのだ。もともと医療に関わる仕事をし、自分の母親もがんで亡くしていたことから、死に方に対する意識も高かった。もちろん由香さんも、自然に任せて逝くことに同意していた。
「死は決して終わりではなく、すばらしい世界への旅立ち。そんな帯津先生の考えに主人は共感し、講話も積極的に聞いていました」
帯津三敬病院への入院当初はこんなことも日記に残している。〈入院してからもう6名亡くなった。生=死。ここにいると死生観が形成される。患者会は元気で驚く〉
日記を見ると、死を淡々と受容しているように見える。だが、がんの痛み止めの副作用による便秘や、体のだるさから、ひどい不安症状も出ていたようだ。
そんな中、文雄さんは最後の夜を迎える。「ウトウトしていたら看護師さんが慌ててモニターを見て、呼吸が弱まってますと言う。主人が延命などしたくないと言っていたのは知ってます。それを遂げさせてあげたいと私も心から思っていたんです」と由香さんは話す。
でも由香さんの口からとっさに出た言葉は、「人工呼吸をお願い!」だった。すぐさま蘇生術が行われたが、そのまま文雄さんは旅立った。
「最後に余計なこと、しちゃいました。でも、何度も死の淵を乗り越えてきたので、今回もきっと。そんな願望もあって、つい…」
あの夜から3カ月。「悔いはないけど寂しい」と由香さんは言う。由香さんのとっさの一言でもわかるように、どんなに理解し合っていても、本人と家族の間には、死への温度差が必ずある。平均寿命を優に超えてからの最期ではない「がん」などであればなおさらだろう。
※週刊朝日 2012年12月7日号