いまどきそんなコテコテなこと言われるんだ、と思うかも知れません。実際に、帰国子女の徹子さんは、明治時代にタイムスリップしたのではないかと「めまいを感じた」そうです。しかし、
「いいえ、私たちはお義母さんの路線を踏襲するつもりはありません。自分たちで私たちの幸せのありかたを見つけていきます」
などと結婚前から義母に宣戦布告できるはずはなく、
「はい。至らないとは思いますが、頑張ります」
と日本的な受け答えをしました。そのこと自体は忘れていたそうですが、振り返ってみると義母が望むように夫に優しくし、子どもたちを義母が望むような子に育てようと頑張ってきたそうです。二言目には「〇〇家」という義母の手前、男の子ができなかったことも、義母に引け目を感じ続けた理由だったと言います。なので、野々花さんが不登校になっているということは、義母にはトップシークレットになっていました。
いずれにしても、義母のいう「よい家庭」を作るためには精一杯力を発揮していますが、親といえども第三者に自分たちを支配させない、という力を徹子さんは使わないできたのです。
徹子さんは数回のカウンセリングでそのことに気づき、やめる決断をしました。
まずは「トップシークレット」をなくしました。義母から電話が来た時、野々花さんが学校に行っていないことを明かし、そのことは自分たち家族の問題だからご心配無用、見守っていてください、と伝えました。いろいろな押し問答があり、結局、義母は
「徹子さん、どうしちゃったの。そんなことだから、野々花ちゃんがおかしくなっちゃったのよ」
と捨て台詞をはいて電話を切り、その後は、夫を取り込むように動いたそうです。そこから先も大変でした。
徹子さんによれば、夫が実家に呼ばれて「洗脳」されて帰ってくるのだそうです。洗脳とは、「徹子さんは少しおかしくなっていて、もう私の言うことを聞かないから、あなたからもっと強く徹子さんに言ってちょうだい。野々花ちゃんをしっかりしつけて学校に行かせないとこれから先心配よ」などと言い含められてくることです。