誰が悪いかという観点ではなく、システムのどこがうまく機能していないのか、と見る必要があるのです。そこで有用なのは「力があるはずなのに出していない人」が誰かという視点です。
野々花さん一家で「力があるはずなのに出していない人」は、第一には父親のように見えます。父親は仕事にかまけて家の中のことを妻に任せきりにし、もっと踏み込めば、妻の圧から退避したわけです。父親がこのシステム全体の機能不全を理解して、その解決に乗り出すというのが現実的な方略の一つだと考えられます。例えば、妻と話し合いの時間を設けて問題を共有するとか、そこまでできなくても早く帰って家庭のシステムの中に浸ってみるなど、パワーの出し方はいろいろ考えられます。もっと手前でいえば、自分がキーパーソンなんだと認識することもその一つです。
■義母の一言にめまい「明治時代かと」
その場合に注意しなければならないのは、誰かがやり方を変えても、すぐに全体がスムースに最適化されるわけではなく、"揺らぎ"が起こる、ということです。
例えば、早く帰ってみると、妻子からたまりたまった不平や非難を聞くことになるかもしれませんし、無視されるかもしれません。「今更遅い」と言われるかもしれません。頑張っているのに、よりストレスが高い状況に陥るのは、人間にとってとてもきついことです。
ちなみに、この一家の場合は、父親が最初に力を出したわけではありませんでした。最初に帰宅拒否という「症状」を出したぐらいなので、実は弱い部分でもあったのです。「力があるはずなのに出していない人」は、他にもいました。徹子さんです。一見、徹子さんは精一杯の努力をしているように見えますが、実のところ本当に必要な力を発揮していなかったのです。
よくよく話を聞いてみると、こんな出来事を話してくれました。結納後、義母に一人部屋に呼ばれた徹子さんは、こんなことを言われました。
「今まで私は人には言えない苦労も沢山あったけど、身を削って精一杯よい家庭を作って、この子をよい子に育ててきました。この責任をこれからはあなたが引き継いでくれるのよね?」