いいライバルを得ることができれば、相乗効果は生まれるもの。それまで全日本プロレスという会社のなかでは、ジャンボ鶴田にとってライバルたりえる人はいなかったわけだけど、彼に何かを芽生えさせたという自信はある。それだけでも、俺にとっては大成功。やっぱり心から感動したのは、彼が病気にかかってドナー移植を求めてフィリピンへ行き、亡くなる直前に俺に電話をしてくれたこと。それは俺が彼のライバルだったから、仲間だったから。つらい気持ちを吐露したときに、天龍だったら何か呼応してくれるんじゃないか、そんなことをジャンボが思ってくれたということ、心を開いてくれたということが、今でも本当にうれしいよ。
こうして考えると、同じ立場で考えてくれない人も、ライバルとはいえないよね。よき理解者でもあり、負けたくないという相手の気持ちを分かったうえで一緒に切磋琢磨してくれる人もライバルの条件だと思う。それと、よく、「ライバルは自分です」なんて言う人がいるよね。この考え方は、自分自身をがんじがらめにしてしまうよ。目に見える像があることで、より一層ライバルがいるということの深みが増す。俺はそう思っている。
それじゃあ最後に、ジャンボ鶴田に対して、一番うらやましかった思い出を話そうか。アマレス出身の彼はプロレスで名前を売ったけれど、プロレスが低調だったときに、一線を退いて筑波大学でコーチ学を学んだ。そのときに相撲協会から彼にオファーがあって、幕内力士全員の前で話をしたという話を聞いたときは、もう、めちゃくちゃうらやましくて(笑)。「俺にはこないのか!」なんてね。今でも彼とは五分で戦えたというプライドを持っているけれど、あのときに初めて、「鶴田に先に上手回しを取られた!」ってしみじみ思ったね(笑)。負けたよ鶴田選手、あんたには勝てないよって。
(構成/小山 暁)