「その子は誕生日プレゼントが欲しいだけなんじゃないかと、猛烈に腹がたち」とみどりさんは判断しましたが、それを判断するのはみどりさんではなくて、息子さんです。
大人になった息子さんが怒るのは、「黙って捨てた」という行為の中にある、「僕が試行錯誤すること」「僕の人生の可能性」を否定されたと感じた結果だと思います。
「あなたは未熟なんだから、間違いなく私の考えた結果になる」という断定が、自分の人生を否定されたように感じたのだと思います。
ちなみに、「毒親」という言葉は、子供側からの言葉です。言われた親側は納得しません。子供を虐待した親も、必ず「しつけだった」と言います。自分は子供のためを思ってしたのだ、それが結果的にエスカレートしただけだと。
「あなたのためにしているの」という思い込みと言い訳があるから、「毒親」問題はやっかいなのです。
ですから、「アニメグッズを捨てた母親」が「毒親」と呼ばれることをみどりさんは怒っていますが、子供側の判断と親側の判断が違うのは、当り前なのです。
さて、みどりさん。ちょっと仮定の話をしたいのですが、ある日、息子さんが「結婚相手」を連れてきたとします。彼女はみどりさんには、「息子さんの金目当ての女」のように見えて、息子さんはただ「利用されて振り回されている」と感じたとしたら、どうしますか?
今、息子さんは30代後半だそうですが、20代だったら、みどりさんはどうしたでしょうか?
自分では納得できない相手を受け入れましたか? それとも、「あの女はやめた方がいい」と拒否しましたか?
20代だとまだまだ判断が未熟だから、私がちゃんと判断しないといけないと思ったでしょうか?
では、今の30代後半の息子さんだとどうでしょうか?
もし、みどりさんが胸を張って「私が手紙を捨てたのは、息子が高校生だったからだ。今は、どんな女性を連れて来ても絶対に反対はしないし、すべて受け入れる」と断言できるのなら、みどりさんと息子さんの距離は、縮まることはなくても、これ以上離れることはないと思います。